東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)34号 判決 1991年5月15日
原告 甲野パイプ株式会社
右代表者代表取締役 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 島田種次
同 浅見精二
同 鈴木善和
被告 本所税務署長 石山雅弘
右訴訟代理人弁護士 早川晴雄
右指定代理人 杦田喜逸
<ほか二名>
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五五年六月三〇日付けでした、
(一) 原告の昭和五〇年一一月一日から昭和五一年一〇月三一日までの事業年度の法人税についてした更正のうち、所得金額を二六二六万六四二〇円として計算した額を超える部分及び重加算税賦課決定
(二) 原告の昭和五一年一一月一日から昭和五二年一〇月二〇日までの事業年度の法人税についてした更正のうち、所得金額を七五八八万三五四八円として計算した額を超える部分及び重加算税賦課決定
(三) 原告の昭和五二年一〇月二一日から昭和五三年一〇月二〇日までの事業年度の法人税についてした更正のうち、所得金額を六億二八六八万九八三四円として計算した額を超える部分及び重加算税賦課決定
をいずれも取り消す。
2 被告が昭和五五年六月一九日付けで原告に対してした昭和五〇年一一月一日から昭和五一年一〇月三一日までの事業年度以後の法人税の青色申告承認取消処分を取り消す。
3 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、その肩書住所地に本社を置き、パイプ類、住宅設備機器の販売、農業資材施設の製造等を営む株式会社であり、被告から法人税の青色申告承認を受けていたものである。
2 本件各更正等及びこれに対する不服申立ての経緯
(一) 原告の昭和五〇年一一月一日から昭和五一年一〇月三一日までの事業年度(以下「昭和五一年一〇月期」という。)の法人税について、原告が青色の申告書でした確定申告、被告がした更正及び重加算税賦課決定(以下、右更正を「昭和五一年一〇月期更正」と、右重加算税賦課決定を「昭和五一年一〇月期賦課決定」という。)、原告がした異議申立て及びこれに対する決定並びに原告のした審査請求及びこれに対する裁決の経緯は、別表一の一のとおりである。
(二) 原告の昭和五一年一一月一日から昭和五二年一〇月二〇日までの事業年度(以下「昭和五二年一〇月期」という。)の法人税について、原告が青色の申告書でした確定申告、被告がした更正及び重加算税賦課決定(以下、右更正を「昭和五二年一〇月期更正」と、右重加算税賦課決定を「昭和五二年一〇月期賦課決定」という。)、原告がした異議申立て及びこれに対する決定並びに原告のした審査請求及びこれに対する裁決の経緯は、別表一の二のとおりである。
(三) 原告の昭和五二年一〇月二一日から昭和五三年一〇月二〇日までの事業年度(以下「昭和五三年一〇月期」といい、昭和五一年一〇月期、昭和五二年一〇月期及び昭和五三年一〇月期を総称して「本件係争年度」という。)の法人税について、原告が青色の申告書でした確定申告、被告がした更正及び重加算税賦課決定(以下、右更正を「昭和五三年一〇月期更正」と、右重加算税賦課決定を「昭和五三年一〇月期賦課決定」といい、昭和五一年一〇月期更正、昭和五二年一〇月期更正及び昭和五三年一〇月期更正を併せて「本件各更正」と、昭和五一年一〇月期賦課決定、昭和五二年一〇月期賦課決定及び昭和五三年一〇月期賦課決定を併せて「本件各賦課決定」という。)、原告がした異議申立て及びこれに対する決定並びに原告のした審査請求及びこれに対する裁決の経緯は、別表一の三のとおりである。
(四) 被告は、昭和五五年六月一九日付けで原告に対し、昭和五一年一〇月期以後の法人税の青色申告承認を取り消す旨の処分をした(以下「本件取消処分」という。)。
そこで、原告は、本件取消処分について、昭和五五年八月一二日、東京国税局長に対して異議申立てをしたが、同年一一月一一日付けで右申立ては棄却されたので、さらに、同年一二月一〇日、国税不服審判所長に審査請求をしたが、昭和五七年九月一〇日付けで右審査請求も棄却された。
3 原告は、本件各更正及び本件各賦課決定並びに本件取消処分に不服があるので、その取消しを求める。
二 請求の原因に対する認否
請求原因1及び2は認める。
三 抗弁
1 所得金額及びその計算根拠
(一) 昭和五一年一〇月期分
(1) 原告の昭和五一年一〇月期の法人税に係る所得金額及びその計算根拠は、別表二の一のとおりである。
(2) 申告所得金額について
原告の昭和五一年一〇月期の法人税の確定申告書に記載されていた金額である。
(3) 架空仕入計上否認額について
原告は、三光金属株式会社(以下「三光金属」という。)に対する仕入代金として七四七三万三〇六四円を、内外実業株式会社(以下「内外実業」という。)に対する仕入代金として七〇二一万一四四七円を、有限会社甲田商会(以下「甲田商会」という。)に対する仕入代金として一億五九一八万七一九〇円(各月の計上額は別表二の二の架空仕入計上額欄記載のとおり)を、日本鉄鋼株式会社(以下「日本鉄鋼」という。)に対する仕入代金として一億六三九九万八九〇〇円を、甲野機材こと甲野春夫に対する仕入代金として五四四万九六一二円をそれぞれ仕入勘定に計上していたが、右計上額(合計四億七三五八万〇二一三円)は、後記2の理由により架空仕入れと認められたので、右架空仕入計上額を原告の所得金額に加算したものである。
(4) 価格変動準備金否認額について
原告は、租税特別措置法(以下「措置法」という。)五三条一項(昭和五二年法律第九号による改正前のもの)に基づき、価格変動準備金六六〇〇万円を損金経理の方法により積み立てていた。
しかしながら、同項により価格変動準備金として積み立てた金額が損金の額に算入されるためには、青色申告書を提出する法人であることが要件の一つとされているところ、被告は、原告に対し、後記5の理由により、昭和五一年一〇月期以後の青色申告承認を取り消す旨の本件取消処分をしているので、右価格変動準備金六六〇〇万円を否認し、これを原告の所得金額に加算したものである。
(5) 支払手数料認容額について
原告は、後記2の(二)の(1)に述べるとおり甲田商会に対する架空仕入れを計上するに当たって、別表二の二のとおり、各月の架空仕入計上額の三パーセント相当額四七七万五六一八円を同社に手数料として支払っていたので、右支払手数料を損金の額に算入したものである。
(6) 雑損認容額について
原告は、後記2の(二)の(2)に述べるとおり、日本鉄鋼に対する融通手形の発行に便乗して架空仕入れを計上していたところ、その操作の過程において、別表二の三のとおり、原告が振り出した融通手形の合計金額と、原告が日本鉄鋼から受け取った見返り手形の合計金額との間に、一五万八七三〇円の受取不足額が認められたので、この不足額を雑損として原告の所得金額から減算したものである。
(7) 価格変動準備金認容額について
原告は、前期事業年度の価格変動準備金の戻入金として五五〇〇万円を益金の額に計上していたところ、右の五五〇〇万円は、原告が既に前期事業年度において措置法五三条一項(昭和五一年法律第五号による改正前のもの)に基づく積立限度額を超過する金額として益金の額に加算していたものであるので、これを原告の所得金額から減算したものである。
(二) 昭和五二年一〇月期分
(1) 原告の昭和五二年一〇月期の法人税に係る所得金額及びその計算根拠は、別表三の一のとおりである。
(2) 申告所得金額について
原告の昭和五二年一〇月期の法人税の確定申告書に記載されていた金額である。
(3) 還付県民税過大減算否認額について
原告は、所得金額の計算に当たり、益金の額に算入されない還付県民税を一九〇〇円過大に益金の額から減算していたので、右還付県民税過大減算額を原告の所得金額に加算したものである。
(4) 架空仕入計上否認額について
原告は、前記(一)の(3)と同様に、三光金属に対する仕入代金として六一一七万二三五八円を、内外実業に対する仕入代金として六二八三万九九六一円を、山室鋼機株式会社(以下「山室鋼機」という。)に対する仕入代金として一八五〇万四三六〇円を、甲田商会に対する仕入代金として一億七二〇四万七六九〇円(各月の計上額は別表三の三の架空仕入計上額欄記載のとおり)を、日本鉄鋼に対する仕入代金として二億一五一一万九〇八〇円を、甲野春夫に対する仕入代金として一七二五万六二四七円をそれぞれ仕入勘定に計上していたが、右計上額(合計五億四六九三万九六九六円)は、後記2の理由により、架空仕入れと認められたので、右架空仕入計上額を原告の所得金額に加算したものである。
(5) 土地譲渡益計上もれ金額について
原告は、昭和五二年五月一四日に、その所有に係る千葉市《番地省略》外所在の宅地六六一九・二一平方メートル(以下「本件土地」という。)を木田建設株式会社(以下「木田建設」という。)に対して譲渡したが、実際は二億四〇〇〇万円で譲渡したにもかかわらず、一億六〇〇〇万円しか収益に計上していなかったので、その差額八〇〇〇万円を土地譲渡益計上もれとして原告の所得金額に加算したものである。
すなわち、本件土地の買受人である木田建設においては、本件土地の譲受けに関し、昭和五二年五月一四日付けをもってこれを購入してその買受代金一億六〇〇〇万円は原告宛てに振り出した同額の約束手形により決済したものとして、一旦は本件土地の取得価額を一億六〇〇〇万円として土地勘定に計上していたが、これとは別に、右同日以降昭和五三年一二月二二日までの間七回にわたり別表三の二のとおり合計八〇〇〇万円を原告に対して支払った上、昭和五三年四月一四日付けで右八〇〇〇万円を土地勘定に追加計上することによって、その取得価額を二億四〇〇〇万円に増額修正している。これに対し、原告においては、右八〇〇〇万円に相当する木田建設からの入金処理及び土地譲渡益の計上がされていない。
したがって、原告は、本件土地を二億四〇〇〇万円で木田建設に譲渡したにもかかわらず、一億六〇〇〇万円に圧縮記帳したものであり、その差額八〇〇〇万円の譲渡益は原告に帰属するものと認められる。
(6) 価格変動準備金否認額
原告は、措置法五三条一項(昭和五三年法律第一一号による改正前のもの)に基づき、価格変動準備金六八〇〇万円を損金経理の方法により積み立てており、他方において、同条三項(昭和六一年法律第一三号による改正前のもの)に基づき、昭和五一年一〇月期の価格変動準備金の戻入金として六六〇〇万円を益金に計上していたところ、被告は、前記(一)の(4)で述べたのと同様の理由により、右価格変動準備金六八〇〇万円を否認し、また、右戻入金六六〇〇万円は昭和五一年一〇月期において既に益金の額に加算されていたものであるので、六八〇〇万円と六六〇〇万円との差額二〇〇万円を原告の所得金額に加算したものである。
(7) 附帯税過大加算認容額について
原告は、所得金額の計算に当たり、損金の額に算入されない附帯税の額を二万六八五〇円過大に益金の額に加算していたので、右附帯税過大加算額を原告の所得金額から減算したものである。
(8) 支払手数料認容額について
前記(一)の(5)と同様に、原告は、別表三の三のとおり、各月の架空仕入れ計上額の三パーセント相当額五一六万一四三〇円を甲田商会に手数料として支払っていたので、右支払手数料を原告の所得金額から減算したものである。
(9) 雑損認容額について
前記(一)の(6)と同様に、別表三の四のとおり、原告が振り出した融通手形の合計金額と原告が日本鉄鋼から受け取った見返り手形の合計金額との間に八八八〇円の受取不足額が認められたので、右不足額を原告の所得金額から減算したものである。
(10) 事業税認容額について
昭和五一年一〇月期更正により、原告の同期の所得金額は、四億七九六四万五八六五円増加するので、地方税法七二条の二二第一項により、右増加所得金額に一〇〇分の一二を乗じて得た額である五七五五万七四〇〇円を事業税の未納付税額として原告の所得金額から減算したものである。
(三) 昭和五三年一〇月期分
(1) 原告の昭和五三年一〇月期の法人税に係る所得金額及びその計算根拠は、別表四の一のとおりである。
(2) 申告所得金額について
原告の昭和五三年一〇月期の法人税確定申告書に記載されていた金額である。
(3) 架空仕入計上否認額について
原告は、前記(一)の(3)と同様に、山室鋼機に対する仕入代金として九八五万三二一〇円を、甲田商会に対する仕入代金として一億七二四四万四一九一円(各月の計上額は別表四の三の架空仕入計上額欄記載のとおり)を、日本鉄鋼に対する仕入代金として七四四五万九一〇〇円を仕入勘定に計上していたが、右計上額(合計二億五六七五万六五〇一円)は、後記2の理由により架空仕入れと認められたので、右架空仕入計上額を原告の所得金額に加算したものである。
(4) 交際費等損金不算入額について
原告は、所得金額の計算に当たり、措置法六二条一項(昭和五四年法律第一五号による改正前のもの)に規定する交際費等の損金不算入額として一六三一万七二八六円を益金の額に加算していたが、右交際費等の損金不算入額を計算すると一六三七万四六六一円となり、差額五万七三七五円の計算誤りがあったので、右金額を原告の所得金額に加算したものである。
(5) 雑益計上もれ金額について
前記(一)の(6)と同様に、別表四の二のとおり、原告が振り出した融通手形の合計金額と原告が日本鉄鋼から受け取った見返り手形の合計金額との間に五五〇〇円の受取過剰額が認められたので、右過剰額を原告の所得金額に加算したものである。
(6) 架空仕入値引認容額について
原告は、三光金属に係る仕入計上額とその支払のために振り出した約束手形金額との間に生じた差額(支払不足額)一万三二八〇円について、右金額を値引きを受けたごとく処理していたが、三光金属からの仕入れを前記のとおり架空仕入れとして、その仕入計上額を否認したのであるから、これに伴って右値引額を原告の所得金額から減算したものである。
(7) 支払手数料認容額について
前記(一)の(5)と同様に、原告は、別表四の三のとおり、各月の架空仕入計上額の三パーセント相当額五二二万三一六九円を甲田商会に手数料として支払っていたので、右手数料を原告の所得金額から減算したものである。
(8) 価格変動準備金認容額について
原告は、前記(二)の(6)と同様に、措置法五三条一項(昭和五四年法律第一五号による改正前のもの)に基づき、価格変動準備金五七五〇万円を損金経理の方法により積み立てており、他方において、同条三項(昭和六一年法律第一三号による改正前のもの)に基づき、昭和五二年一〇月期の価格変動準備金の戻入金として六八〇〇万円を益金に計上していたところ、被告は、前期(一)の(4)と同様に、右価格変動準備金五七五〇万円を否認し、また、右戻入金六八〇〇万円は昭和五二年一〇月期において既に益金の額に加算しているものであるので、六八〇〇万円と五七五〇万円との差額一〇五〇万円を原告の所得金額から減算したものである。
(9) 事業税認容額について
昭和五二年一〇月期更正により原告の所得金額は、五億六六一八万七〇三六円増加するので、地方税法七二条の二二第一項により、右増加所得金額に一〇〇分の一二を乗じて得た額である六七九四万二四四〇円を事業税の未納税額として原告の所得金額から減算したものである。
2 架空仕入れと認定した根拠
被告が、原告の法人税の確定申告中に架空仕入計上があると認定したことは、前記1の(一)の(3)、(二)の(4)及び(三)の(3)のとおりであるところ、その架空仕入計上の方法は、大別して次の二つの類型に分類できる。すなわち、その一つは、実在しない法人をあたかも実在しているかのごとく見せかけて仮装取引をしたものであり、他の一つは、業績不振に陥り融資を求めてきた取引先法人等に対し、その弱みに付け込んで原告との仮装取引に加担するよう要求し、これに応ずることを余儀なくさせて仮装取引をしたものである。
右の分類に従って架空仕入れの方法をさらに具体的に述べれば次のとおりである。
(一) 不存在法人を使った架空仕入れ
原告は、いずれも実在しない三光金属、山室鋼機及び内外実業の名称を用いて、あたかも右三社から商品を仕入れたかのように納品書、請求書及び領収証等の取引関係資料を作成し、これらに基づいて前記1の(一)の(3)、(二)の(4)及び(三)の(3)のとおり右三社からの仕入金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように右三社に対する約束手形を振り出し、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていた。
(二) 業績不振法人等を使った架空仕入れ
(1) 原告は、甲田商会に依頼して、原告との架空の仕入取引の内容を記載した納品書及び請求書の発行を受け、これらに基づいて前記1の(一)の(3)、(二)の(4)及び(三)の(3)のとおり同社からの仕入金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように仮装して甲田商会に対して約束手形又は小切手を振り出し、他方、甲田商会では、架空の納品書及び請求書の発行に伴って、その納品書及び請求書に記載した架空の売上金額を売上勘定に計上するとともに、その売上金額から手数料の三パーセント相当額を差し引いた金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように仮装して小切手を振り出し、右小切手を同社の裏書で現金化して、これを原告に戻していた。
(2) また、原告は、昭和五一年一月ころ、融通手形の発行による融資を求めてきた日本鉄鋼に対し、融資の条件として融資額に見合う金額の架空の仕入取引の内容を記載した納品書及び請求書の発行を求め、この条件を受け入れた日本鉄鋼から架空の納品書、請求書及び領収書の発行を受け、これらに基づいて前記1の(一)の(3)、(二)の(4)及び(三)の(3)のとおり同社からの仕入金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように仮装して日本鉄鋼に対して約束手形を振り出し、他方、日本鉄鋼から右約束手形に見合う見返り手形の振出しを受けて、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていた。
(3) さらに、原告は、甲野春夫に依頼して、架空の仕入取引の内容を記載した納品書及び請求書の発行を受け、これらに基づいて前記1の(一)の(3)及び(二)の(4)のとおり仕入金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように仮装して甲野春夫に対して小切手あるいは約束手形を振り出し、小切手については、原告自らの裏書により現金化し、約束手形については、原告が開設した仮名普通預金口座において取り立てて回収していた。
3 本件各更正の適法性
被告が本訴において主張する原告の本件係争年度の所得金額は、前記1のとおり、昭和五一年一〇月期は五億〇五九一万二二八五円、昭和五二年一〇月期は六億四二〇六万八六八四円及び昭和五三年一〇月期は八億〇一七七万二九四六円であるところ、本件更正に係る所得金額は、別表一の一ないし三のとおり、いずれも被告の右主張額と同額であるから、被告の本件各更正は適法である。
4 本件各賦課決定の根拠及び適法性
(一) 本件各賦課決定は、原告が本件係争年度の法人税確定申告書を別表一の一ないし三の各該当欄記載のとおり提出したのに対し、被告が納付すべき法人税額を別表一の一ないし三の各該当欄記載のとおりとする本件各更正をしたことに伴ってした処分であり、その内容は、別表五のとおりである(昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法一一八条三項により計算の基礎となる税額について一〇〇〇円未満の端数切捨て)。
(二) 本件各更正の対象となった架空仕入計上及び土地譲渡益計上もれは、所得金額の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい、仮装したことに当たり、原告は、右隠ぺい、仮装したところに基づいて確定申告書を提出したものであるから、被告が国税通則法六八条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により重加算税を賦課した本件各賦課決定は適法である。
5 本件取消処分の根拠及び適法性
被告が、原告に対する昭和五一年一〇月期更正及び賦課決定に係る調査において、原告の備え付けている帳簿書類及び取引先を調査したところ、前記1の(一)の(3)及び2に述べたとおり、架空仕入れを計上している事実が認められた。これは、その事業年度に係る帳簿書類に取引の全部又は一部を仮装して記載したものであり、原告の帳簿書類の記載事項の全体についてその真実性を疑わせるに足る相当な理由がある場合に当たるから、被告が、法人税法一二七条一項三号に該当するとして、昭和五一年一〇月期以後の青色申告承認を取り消した本件取消処分は適法である。
四 抗弁に対する認否
1(一)(1) 抗弁1の(一)の(1)は争う。
(2) 同(2)は認める。
(3) 同(3)のうち、原告が、主張のとおり三光金属、内外実業、甲田商会、日本鉄鋼及び甲野春夫に対する仕入代金を仕入勘定に計上したことは認め、これが架空仕入れであることは否認する。
(4) 同(4)は認める。ただし、本件取消処分及び価格変動準備金の否認の適法性は争う。
(5) 同(5)及び同(6)は否認する。
(6) 同(7)は認める。
(二)(1) 同(二)の(1)は争う。
(2) 同(2)は認める。
(3) 同(3)は認める。
(4) 同(4)のうち、原告が、主張のとおり三光金属、内外実業、山室鋼機、甲田商会、日本鉄鋼及び甲野春夫に対する仕入代金を仕入勘定に計上したことは認め、これが架空仕入れであることは否認する。
(5) 同(5)のうち、原告が昭和五二年五月一四日にその所有に係る本件土地を木田建設に譲渡したこと及び原告が本件土地の譲渡による収益として一億六〇〇〇万円を計上したことは認め、その譲渡価格が二億四〇〇〇万円であったこと、同日以降昭和五三年一二月二二日までの間に七回にわたり合計八〇〇〇万円を木田建設が原告に支払ったこと、本件土地は原告が二億四〇〇〇万円で木田建設に譲渡したのを一億六〇〇〇万円に圧縮記帳したこと及びその差額八〇〇〇万円の譲渡益が原告に帰属することはいずれも否認し、その余は不知。
(6) 同(6)は認める。ただし、この加算の適法性は争う。
(7) 同(7)は認める。
(8) 同(8)及び同(9)は否認する。
(9) 同(10)は認める。ただし、昭和五一年一〇月期更正及びこの減算の適法性は争う。
(三)(1) 同(三)の(1)は争う。
(2) 同(2)は認める。
(3) 同(3)のうち、原告が、主張のとおり山室鋼機、甲田商会及び日本鉄鋼に対する仕入代金を仕入勘定に計上したことは認め、これが架空仕入れであることは否認する。
(4) 同(4)は認める。
(5) 同(5)は否認する。
(6) 同(6)のうち、三光金属からの仕入計上額が架空仕入れであるとの点は否認し、仕入計上額とその支払のために振り出した約束手形金額との差額一万三二八〇円について、原告が値引きを受けたものとして処理したことは認める。
(7) 同(7)は否認する。
(8) 同(8)は認める。ただし、この減算の適法性については争う。
(9) 同(9)は認める。ただし、昭和五二年一〇月期更正及びこの減算の適法性については争う。
2(一) 同2冒頭の主張は争い、同(一)のうち、原告が、主張のとおり三光金属、山室鋼機、内外実業からの仕入代金を仕入勘定に計上したことは認め、その余は争う。
(二) 同(二)(1)のうち、原告が、主張のとおり甲田商会からの仕入金額を仕入勘定に計上したこと、同(2)のうち、原告が、主張のとおり日本鉄鋼からの仕入金額を仕入勘定に計上したこと、同(3)のうち、原告が、主張のとおり甲野春夫からの仕入金額を仕入勘定に計上したことは認め、その余は争う。
3 同3は争う。
4 同4のうち、(一)は認め、(二)は争う。
5 同5は争う。
五 原告の主張
1 架空仕入れの主張に対する反論
(一) 不存在法人を使った架空仕入れとの主張について
被告は、三光金属、山室鋼機及び内外実業がいずれも実在していないこと及び原告が右三社からの仕入代金の支払のために振り出した約束手形が、原告が開設した仮名普通預金口座において取り立てられていることを根拠として、原告と右三社との仕入取引は、架空仕入れであると主張する。
しかしながら、原告は、三光金属、山室鋼機及び内外実業から現実に商品を仕入れているのであり、以下に述べるとおり、被告が、右三社が実在していないことを根拠として原告との仕入取引を架空仕入れであると主張するのは、原告と右の三社との仕入取引の特殊性を無視したことによるものであり、また、原告が仕入代金の支払のために振り出した約束手形を仮名普通預金口座で取り立てていると主張するのは、被告の事実誤認によるものである。
(1) 三光金属、山室鋼機及び内外実業との仕入取引の特殊性
三光金属、山室鋼機及び内外実業は、いずれも東洋陶器、東洋バルブ、北沢バルブ等のいわゆる有名ブランドの商品を低廉価格で売り込む通称バッタ屋といわれる業者である。これら業者は、商品売込みを依頼した真の売主を秘匿する必要から自らの身分等をも秘して商品を売り込むのを常としており、かかる取引においては、商品の買手としても、その商品が廉価で現実に入荷されれば目的が達成されることから、強いて相手方の立場、氏名等を詮索しないことが業界の慣例とされている。原告においては、本件係争年度当時の不況を乗り切る手段として、たまたま商品の売込みに来社した右三社のバッタ屋との取引に応じ廉価商品を仕入れたのである。
そして、具体的には、三光金属及び山室鋼機は、乙山松夫(以下「乙山」という。)が使用した取引名義であり、また、内外実業は、丙川竹夫(以下「丙川」という。)が使用した取引名義であった。
(2) 被告の事実誤認
被告が、原告は架空仕入れについて振り出した約束手形を自ら開設した仮名普通預金口座において取り立てていると主張しているのは、次に述べる事実を誤解したものである。すなわち、原告の代表取締役甲野太郎(以下「太郎」という。)は、従来から多額の個人資金を所有していたが、その資金の管理運用を甲野ハウジング株式会社(以下「甲野ハウジング」という。)の社員である丁原一郎(以下「丁原」という。)及び戊田二郎(以下「戊田」という。)に委託していた。丁原らは、太郎の個人資金をもって金融業者から手形を買い入れ、その利殖を図っていたが、三光金属ら三社はこれを知り、丁原らに要請して、原告との仕入取引によって振出しを受けた約束手形を割り引いていた。したがって、この手形割引は、右三社と丁原らとの間における取引であって、原告の資金を流用したものではなく、原告とは何の関係もない。
(二) 業績不振法人等を使った架空仕入れの主張について
(1) 甲田商会との取引について
ア 被告が甲田商会からの架空仕入れであると主張する取引は、甲田商会の代表取締役乙田梅夫(以下「乙田」という。)が、かつて原告に機材部長として勤務をしていた者であったことを知っていたバッタ屋が、甲田商会を利用して原告にダンピング品を売り込んだ取引である。すなわち、一般に、業者が商品をダンピングして売却するのは、資金不足を補うための最後の手段であるから、業者は、対外的信用を失うことをおそれて、第三者を通じて極秘裡にダンピング品を売却するものであるところ、甲田商会は、他の業者からダンピング品処分の依頼を受け、自己の資力ではこれを仕入れることができないために事前に原告に相談を持ち込んできた経緯があり、この取引における甲田商会の実質的役割は仲介行為というべきものであった。甲田商会の利益率が三パーセントという低率であったのは右の取引の性格によるものである。
イ また、原告と甲田商会とのダンピング品の仕入取引は、昭和五三年五月一八日に東京国税局の査察調査が開始された後も昭和五四年一月まで継続しており、その間の取引金額は、九九一二万二五四九円に及んでいる。この間、東京国税局の査察官は一〇数回にわたり甲田商会、原告の本社及び営業所等を臨検し、その都度甲田商会との取引に係る納品書と在庫品とを照合し、その両者が一致していることを確認している。要するに、本件取引が真実の取引であるからこそ査察調査中においても従来と変りなく本件取引を継続できたのである。もし本件取引が架空仕入れであれば査察調査により現に不正行為を追及されている最中においてさらに同様の不正行為を続行できるはずはないのである。
(2) 日本鉄鋼との取引について
ア 原告と日本鉄鋼とは従来から取引があったが、被告が架空仕入れと認定した取引の内容は、昭和五一年一月ころ、原告のサービス部長丙田三郎(以下「丙田」という。)が模造製品の製造方を日本鉄鋼の当時の取締役新井貴一(以下「新井」という。)に持ち掛け、その製品を原告が仕入れることを約した特殊な取引である。日本鉄鋼は、模造製品の製造が商標盗用となることを恐れて従来からの下請工場以外の業者にこれを製造させ、原告に納入したが、原告としては、右模造製品の仕入れについても通常の仕入取引と同様の手続によりその代金の支払のために約束手形を振り出していたのである。
イ また、日本鉄鋼は、以前から甲野ハウジングより相当額の融資を受けており、さらに、右の模造製品についての取引開始後は、同社の丁原らから自己の振り出した約束手形の割引きを受けて手形融資を得ていたが、甲野ハウジングの日本鉄鋼に対する手形融資は、原告が関与又は斡旋したものではなく、原告とは何の関係もない。このことは、原告と日本鉄鋼との模造製品の取引が昭和五三年三月まで継続していたのに対し、日本鉄鋼と丁原らとの間の手形融資は、丁原が甲野ハウジングを退職した昭和五二年一二月には終了し、以後、日本鉄鋼は、この種の自己振出し手形を大阪市内の金融業者で割り引いていた事実により明らかである。
(3) 甲野春夫との取引について
ア 被告が、甲野春夫からの架空仕入れであると主張する取引は、原告が北口武治(以下「北口」という。)から商品を仕入れた取引であり、北口は、甲野機材の経営者であった甲野春夫との契約により甲野機材の名義を借りて原告と取引したものである。原告は、北口と甲野春夫との間の名義貸しについていかなる内容の取り決めがされていたかは知るところではなく、専ら北口から商品を仕入れ、同人に代金を支払っていたのであって、もとよりこの取引は架空取引ではない。
2 本件土地の土地譲渡益計上もれの主張に対する反論
被告は、本件土地は原告が二億四〇〇〇万円で木田建設に譲渡したものを一億六〇〇〇万円に圧縮記帳したものであり、その差額八〇〇〇万円の譲渡益は、原告に帰属すると主張する。しかしながら、次のとおり、右八〇〇〇万円の収益は、甲野ハウジングに帰属するものであり、原告に帰属するものではない。
(一) 本件土地は、その一部に約四〇〇坪の墓地があり、この墓地を移転しなければ他に売却することができない状況にあったため、原告は、宅地建物取引業者である甲野ハウジングに墓地を移転させた上で本件土地を一年以内に転売させることを目的として、昭和五一年七月二一日、同社に対して、本件土地を代金一億六〇〇〇万円で売り渡した。右売買契約においては、甲野ハウジングが一年以内に本件土地を転売できないときは、同社は、原告に対して、直ちに売買代金一億六〇〇〇万円を支払うこと、一億六〇〇〇万円と甲野ハウジングの転売価格との差額の損益は、同社に帰属すること等が約定されていた。
なお、甲野ハウジングは、原告の関連会社であり、右売買契約の主旨は、本件土地を一年以内に転売させることにあったことから、本件土地の登記名義は、原告に留保され、所有権移転登記手続は行われなかった。
その後、本件土地は、木田建設が二億四〇〇〇万円で買い受けることとなったが、甲野ハウジングは、右の約定により原告には一億六〇〇〇万円を支払えば足りること及び本件土地の登記名義が原告に留保されていたことから、木田建設との間で、同社が甲野ハウジングに転売差益八〇〇〇万円を支払う旨の合意をした上で、昭和五二年五月一四日、原告と木田建設との間で本件土地の売買契約を締結させたのである。
(二) 右の事実関係からすると、本件土地は、原告、甲野ハウジング、木田建設と順次売り渡され、原告と甲野ハウジングとの内部関係においては、甲野ハウジングが木田建設より支払を受けた二億四〇〇〇万円のうち一億六〇〇〇万円を原告に支払うべきであるが、甲野ハウジングは、右一億六〇〇〇万円を木田建設から原告に直接支払わせることにより、差益八〇〇〇万円が自ずから甲野ハウジングに帰属する取引をしたと解すべきである。
仮にそうでないとしても、原告、甲野ハウジング間の売買契約は、実質的には原告より甲野ハウジングに対する本件土地売却の委託契約であり、売買代金が一億六〇〇〇万円を超えた場合には、甲野ハウジングが買主からその差額を直接収受することができるとする内容であったと解され、甲野ハウジングは、右委託契約に基づいて、原告、木田建設間で代金一億六〇〇〇万円の売買契約を成立させるとともに、木田建設との間で甲野ハウジングが仲介報酬的金員として八〇〇〇万円の支払を受ける合意を成立させたのである。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。
二 架空仕入れについて
1 三光金属及び山室鋼機との取引について
(一) 原告が、三光金属からの仕入代金として、昭和五一年一〇月期に七四七三万三〇六四円を、昭和五二年一〇月期に六一一七万二三五八円を仕入勘定に計上し、山室鋼機からの仕入代金として昭和五二年一〇月期に一八五〇万四三六〇円を、昭和五三年一〇月期に九八五万三二一〇円を仕入勘定に計上したことは、いずれも当事者間に争いがないところ、被告は、原告と三光金属及び山室鋼機との仕入取引は、いずれも架空取引であり、原告自身が、実在しない両社の名称を用いて、あたかも右両社から商品の仕入れをしたかのように納品書等の取引関係資料を作成し、仕入代金を仕入勘定に計上した上、その支払のために約束手形を振り出し、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていたものであると主張するので、まず、この点について検討する。
(1) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
ア 原告と三光金属との仕入取引に係るものとされている三光金属名義の原告宛ての納品書、請求書及び領収証には、同社の本社の住所は「名古屋市《省略》3ノ1番地(あるいは3―1)」、本社の電話番号は「(733)××××番」と記載されている。しかし、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期を通じて、右の本社住所地には、三光金属とは何の関係もない株式会社三洋物産の本社が所在するとともに同社の社員が居住しており、右住所地の所轄法務局の商業登記簿に三光金属に該当する登記はなく、所轄税務署における三光金属に対する課税事績もなかった。また、右の電話番号は、千種電話局の所有する公衆電話の番号であって、その設置場所は、三光金属とは何の関係もないオークランド観光開発株式会社の経営する名古屋市《番地省略》所在のサウナスオミ店内であった。
イ 右の納品書等には、三光金属の千葉営業所の住所は「千葉県市川市《番地省略》、その電話番号は「0473(24)××××番」と記載されている。しかし、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期を通じて、右の千葉営業所の住所地には、乙山春子(以下「春子」という。)が居住しており、右住所地の所轄法務局の商業登記簿に三光金属に該当する登記はなく、所轄税務署における三光金属に対する課税事績もなかった。また、右の電話番号は、三光金属とは何の関係もない小林三郎を加入権者とする電話の番号であって、その設置場所は市川市《番地省略》であった。
ウ さらに、三菱銀行浅草橋支店及び東海銀行新橋支店の三光金属名義の各普通預金口座の印鑑票には、いずれも同社の住所として右イの千葉営業所の住所が記載され、その連絡先電話番号は「0473(24)××××」と記載されている。しかし、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期を通じて、右の電話番号は、春子を加入権者として、その住居である市川市《番地省略》に設置された電話の番号であった。
エ 以上のアないしウの事実を総合すれば、三光金属なる法人は実在せず、架空の取引名義であったことが明らかである。
(2) また、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
ア 山室鋼機名義の原告宛ての納品書、請求書及び領収証には、同社の本社の住所は「大阪市西区《番地省略》」、本社の電話番号は(06(531)××××」と記載されている。しかし、昭和五二年一〇月期及び昭和五三年一〇月期を通じて、右の本社住所地には、山室鋼機とは何の関係もない松本源二及び松本みつの共有に係る岡崎橋ガレージが所在しており、右住所地の所轄法務局の商業登記簿に山室鋼機に該当する登記はなく、所轄税務署における山室鋼機に対する課税事績もなかった。また、右の電話番号は、山室鋼機とは何の関係もない伸和電器株式会社を加入権者とする電話の番号であり、その設置場所は、大阪市西区《番地省略》であった。
イ 右の納品書等には、同社の東京営業所の所在地は「東京都港区《番地省略》」、その電話番号は「03(585)××××」と記載されている。しかし、昭和五二年一〇月期及び昭和五三年一〇月期を通じて、右の東京営業所の住所地には、春子の姉である乙山秋子(以下「秋子」という。)が居住する「乙川ハイツ」が所在しており、右の電話番号も、秋子を加入権者として、「乙川ハイツ」内の同人の住居に設置された電話の番号であった。また、右住所地の所轄法務局の商業登記簿には山室鋼機に該当する登記はなく、所轄税務署における山室鋼機に対する課税事績もなかった。
ウ 右ア及びイの事実を総合すれば、山室鋼機なる法人は実在せず、架空の取引名義であったことが明らかである。
(3)ア 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
① 原告は、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期において、三光金属への各月の仕入代金の支払のため、仕入計上月の翌月に約束手形を振り出していたが、これらの約束手形三四葉は、いずれも第一裏書人を「千葉県市川市《番地省略》 三光金属株式会社 所長乙山五郎」、「千葉県市川市《番地省略》 三光金属株式会社 代表取締役乙山五郎」あるいは「千葉県市川市《番地省略》 三光金属株式会社 乙山五郎」とし、昭和五一年一〇月期振出分については、三菱銀行浅草橋支店の三光金属名義普通預金、太陽神戸銀行浅草橋支店の市原悦三名義普通預金及び平和相互銀行浅草橋支店の有限会社勝田商事(以下「勝田商事」という。)名義普通預金の各口座で、昭和五二年一〇月期振出分については、協和銀行浅草橋支店の宮入米蔵名義普通預金及び三井信託銀行新橋支店の山ノ井芳治名義普通預金の各口座でそれぞれ取り立てられていた。
② 原告は、昭和五二年一〇月期及び昭和五三年一〇月期において、山室鋼機への各月の仕入代金の支払のため、仕入計上月の翌月に約束手形を振り出していたが、これらの約束手形一〇葉は、いずれも第一裏書人を「東京都港区《番地省略》山室鋼機株式会社 代表取締役山室昭五」とし、昭和五二年一〇月期振出分については、三和銀行新橋支店の勝田商事名義普通預金口座で、昭和五三年一〇月期振出分については、東京銀行新橋支店の株式会社三協商事(以下「三協商事」という。)名義普通預金及び大和銀行虎の門支店の沢松商事株式会社(以下「沢松商事」という。)名義普通預金の各口座でそれぞれ取り立てられていた。
イ また、《証拠省略》によれば、右アの各普通預金口座の口座名義人に関して、次の事実が認められる。
① 右アの①の各普通預金口座の口座名義人のうち、市原悦三及び宮入米蔵は、その預金口座の印鑑票に記載されている住所地に住民登録がなく、勝田商事は、その預金口座の印鑑票に記載されている住所地において、所轄法務局の商業登記簿に該当の登記がなく、所轄税務署における課税事績もなかった(なお、三光金属の預金口座の印鑑票に記載されている住所地には春子が居住しており、右住所地の所轄法務局の商業登記簿に三光金属の登記はなく、所轄税務署における三光金属に対する課税事績もなかったことは、前記(1)のイ及びウのとおりである。)。
また、右各口座名義人のうち、市原悦三の預金口座の印鑑票にその連絡先電話番号として記載されている(五七一)××××番は、本件係争年度を通じ、春子を加入権者として港区新橋《番地省略》所在の同人経営に係るバー「甲川」に設置された電話の番号であり、勝田商事の預金口座の印鑑票にその連絡先電話番号として記載されている〇四七三(二四)××××番は、前記(1)のウのとおり、春子を加入権者としてその住居に設置された電話の番号であり、勝田商事、宮入米蔵及び山ノ井芳治の預金口座の印鑑票にそれぞれの連絡先電話番号として記載されている(五八五)××××番は、前記(2)のイのとおり、秋子を加入権者としてその住居に設置された電話の番号であった(なお、三光金属の預金口座の印鑑票に記載されている連絡先電話番号が、春子を加入権者としてその住居に設置された電話の番号であったことは、前記(1)のウのとおりである。)。
② 右アの②の各普通預金口座の口座名義人である勝田商事、三協商事及び沢松商事は、いずれもその預金口座の印鑑票に記載されている住所地において、所轄法務局の商業登記簿に該当の登記がなく、所轄税務署における課税事績もなかった。
また、右各口座名義人のうち、勝田商事の預金口座の印鑑票に連絡先電話番号として記載されている(五八五)××××番は、前記(2)のイのとおり、秋子を加入権者としてその住居に設置された電話の番号であり、三協商事及び沢松商事の預金口座の印鑑票に連絡先電話番号として記載されている(五七一)××××番は、右①のとおり、春子を加入権者としてバー「甲川」に設置された電話の番号であった。
ウ 《証拠省略》によれば、春子は、姉の秋子とともに、東京都港区新橋《番地省略》に所在するバー「甲川」を経営している者であるところ、バー「甲川」は、もともと太郎が、その妻である甲野花子(以下「花子」という。)名義で有限会社丁川商会より賃借し、花子の友人であった戊川夏子に経営させていた店であったが、昭和三八年一一月一日に、当時、バー「甲川」の従業員であった春子が太郎よりその賃借権を譲り受けたものであること、また、太郎は、本件係争年度当時、年二、三回はバー「甲川」に行っていたことが認められる。
エ さらに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
① 原告が三光金属に振り出した約束手形に係る裏書記載は、いずれも裏書人の表示がゴム印を押捺してされており、その代表者等の名下には、各個人名義の印鑑が押印されているほか、最終裏書人(取立委任裏書人)については、その取立預金口座の印鑑票にも、裏書に用いられたと同一の印鑑が届け出られていたところ、これらのゴム印及び印鑑のうち、勝田商事名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに平和相互銀行浅草橋支店の勝田商事名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、宮入米蔵名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその名下の押印並びに協和銀行浅草橋支店の同人名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、並びに山ノ井芳治名義の裏書記載の同人名下の押印及び三井信託銀行新橋支店の同人名義の普通預金取引に使用されている印鑑は、いずれも原告が、江東区《番地省略》において甲原堂の屋号で印章店を経営している乙原六郎に発注して作成させたものであった。
② 原告が山室鋼機に振り出した約束手形に係る裏書記載においても、裏書人の表示は、ゴム印を押捺してされており、その代表者等の名下には、各個人名義の印鑑が押印されているほか、最終裏書人(取立委任裏書人)については、その取立預金口座の印鑑票にも、裏書に用いられたと同一の印鑑が届け出られていたところ、これらのゴム印及び印鑑のうち、勝田商事名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに三和銀行新橋支店の勝田商事名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑も同様に原告が乙原六郎に発注して作成させたものであった。
③ もっとも、《証拠省略》によれば、原告に残されている、本件係争年度ころの甲原堂から原告への納品書及び請求書並びに原告から甲原堂に対する送金の振込受取書には、原告が甲原堂に対して、右①及び②のゴム印及び印鑑を発注したことを窺わせる記載はないことが認められ、また、右尋問の結果中には、右の納品書等の証票書類等の記載を根拠として、原告が本件係争年度ころに乙原六郎に発注したゴム印及び印鑑の中には、仮名預金取引に使用されたものは全くなかったとか、仮名預金取引に使用されたゴム印及び印鑑は、甲野ハウジングの戊田及び丁原がどこかで作らせたものであるとか供述する部分がある。
しかしながら、原告が架空仕入れを計上して、架空仕入代金を回収するために仮名預金取引を行っていたとすれば、原告が乙原六郎に仮名預金取引に使用するゴム印及び印鑑を発注したとしても、事柄の性質上、その代金は、正規の経理処理によらずに支出されている可能性が高いというべきであって、原告に残されている証票書類等に仮名預金取引に使用されたゴム印及び印鑑の発注を窺わせる記載のないことをもって、右①及び②の認定を覆すものということはできないし、右の証票書類等の記載を根拠として原告が乙原六郎に発注したゴム印及び印鑑の中には、仮名預金取引に使用されたものはなかったとする原告代表者の右供述部分を直ちに信用することもできない。
また、仮名預金取引に使用されたゴム印及び印鑑が戊田及び丁原が作らせたものであるとの供述部分については、証人戊田二郎及び同丁原一郎がその各証言においてこれと相反する供述をしているのみならず、仮にこれが事実であったとしても、《証拠省略》によれば、甲野ハウジングは、昭和四八年八月に原告の不動産部が独立して、土地、建物の売買及び仲介業、金銭貸付業、遊戯場の経営、飲食店の経営等を目的とする別会社となったもので、実質的には太郎の主宰する原告の系列会社であったこと、戊田は、本件係争年度当時、甲野ハウジングの社員であるとともに、原告においても、昭和五〇年一一月から昭和五一年四月までは社長室次長、昭和五二年四月の時点では総務次長兼東京本店長、昭和五三年四月の時点では事業部長兼本店営業部副部長の地位にあり、同年八月に原告及び甲野ハウジングを退職したこと、丁原は、本件係争年度当時、甲野ハウジングの社員であるとともに、原告においても、昭和五〇年一一月から昭和五一年四月まで戊田とともに原告の社長室次長、昭和五二年四月の時点では原告の総務次長兼千葉総括副部長の地位にあり、その後、同年一二月三一日に一旦原告及び甲野ハウジングを退職し、昭和五三年五月に原告に再入社して社長室次長となっていたことが認められ(《証拠判断省略》)、右の事実と《証拠省略》により認められる、乙原六郎が右①及び②のゴム印及び印鑑を作成したのは、昭和五一年四月ないし八月であることとを併せ考えれば、戊田及び丁原は、右①及び②のゴム印及び印鑑が作成された当時、いずれも原告の社員の地位にもあったものというべきであるから、仮名預金取引に使用されたゴム印及び印鑑が同人らの発注に係るものであるとする原告代表者の右供述部分は、何ら右①及び②の認定を妨げるものではない。
オ 以上のアないしエの事実を総合すれば、原告が三光金属及び山室鋼機に振り出した約束手形の取立てに用いられた普通預金口座は、いずれも仮名預金口座であり、原告が開設したものであると認めることができる。
(4) 右(1)ないし(3)並びに弁論の全趣旨を総合勘案すると、原告は、いずれも真実の仕入れをしたかのように納品書、請求書及び領収証等の取引関係資料を作成し、これらに基づいて仕入金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように右両社に対する約束手形を振り出し、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていたものであり、原告が本件係争年度において三光金属及び山室鋼機との仕入取引に係る仕入代金として計上した金額は、すべて架空仕入れによるものと推認するのが相当である。
(二) しかし、他方において、原告は、三光金属及び山室鋼機はいずれもバッタ屋である乙山が使用した取引名義であって、右両社との仕入取引は、現実の取引であり、原告が右両社からの仕入代金支払のために振り出した約束手形が仮名預金口座で取り立てられているのは、乙山が、右約束手形を甲野ハウジングの丁原及び戊田に依頼して割り引いていたからであると主張する。そこで、以下、右主張に沿う証拠について検討する。
(1)ア 証人乙山松夫は、その証言において、同人は、昭和四九年六月から昭和五五年五月までの間、工業プラントの配管用の継手、バルブ類の問屋であった山本興業の東京支店に勤務していたが、昭和五〇年四月ころ、名古屋在住の瀬守某(以下「瀬守」という。)より東陶製の管工機材の売り込みを依頼され、同年六月ないし七月ころ、姉の春子及び秋子の経営するバー「甲川」で知り合った丁原から原告の仕入担当課長である丙原を紹介されて、丙原と代金支払条件等の取引条件について交渉の末、三光金属名義で瀬守から仕入れた商品を原告に納入する取引を開始したとか、乙山は、瀬守から送られてきた商品の保管及び原告への運送を千葉市小深町に所在していた運送業者叶興業株式会社(以下「叶興業」という。)に依頼していたとか、乙山と原告との取引の手順は、まず、乙山が丙原から翌月分の納入品目と数量の概略の発注を電話で受けて、それを名古屋の瀬守に電話で伝え、瀬守から商品が叶興業に送られてくると、丙原から電話で具体的な納入品目と数量の発注及び納入期日の指示がされるので、乙山は、商品を確認し、原告に納入する品目及び数量を確定して仕分けるために、必ず毎週一度、叶興業に赴き、同社敷地内のプレハブ倉庫に保管されている商品の仕分けを行っていたとか、乙山は、瀬守から同じ名義で長期間取引を続けるのは不都合であるとして取引名義を変更するように指示されたので、丙原の了承を得て、原告との取引名義を三光金属から山室鋼機に変更したとか、乙山は、原告との取引期間中、ほとんど連日のように納品していたが、乙山の当時の勤務先である山本興業が和議申請直前であって、業務量が激減した状態であったため、このような取引を行う余裕はあったとか供述する。
イ また、《証拠省略》中には、三光金属及び山室鋼機は、乙山が用いた取引名義であり、原告が乙山から商品を仕入れるようになったのは、戊田が、バー「甲川」において、大阪にある東陶製品の一次問屋から、東京の市場で商品をダンピングしたいとの相談を受け、同人がこのダンピング品に関する原告との取引を乙山にやらせたためであるとか、太郎が仕入伝票、売上伝票を調査させたところ、乙山が三光金属名義あるいは山室鋼機名義で原告に納入した商品は、すべて実際に納品され、原告の販売ルートを通じて売られていたとか、甲野ハウジングの社員であった戊田及び丁原は、本件係争年度当時、太郎個人から、同人が定期預金の解約等により作った二億五〇〇〇万円ないし三億円ほどの資金の運用を任されており、右両名は、原告の振り出した手形等を割り引き、仮名預金口座を開設してこれを取り立てる方法によりこの個人資金を運用していたところ、原告と取引をしていた乙山等は、原告の振り出した約束手形を正規の銀行の割引きに回せないため、戊田及び丁原に依頼してこれを割り引いていたとか供述する部分がある。
ウ さらに、《証拠省略》中には、戊田は、昭和五〇年ないし昭和五一年ころに、乙山から東陶製品が安く入手できるのでどこかへ売りたいという話があったので、原告に売るよう勧め、乙山を原告の仕入担当課長である丙原に引き合わせ、その後、乙山が三光金属名義で原告と取引を開始したとか、戊田及び丁原は、昭和五〇年ころから二、三年の間、太郎の依頼を受け、太郎個人の預金を取り崩した資金を手形割引きにより運用していわゆる裏金融をしていたとか、乙山は、原告から三光金属あるいは山室鋼機に対して振り出された約束手形を受領すると、毎月慣例のように、戊田及び丁原に割引きを依頼しており、戊田及び丁原は、これを裏金融の資金で割り引いていたとか供述する部分がある。
エ 加えて、《証拠省略》には、三光金属と山室鋼機とは、同一人であり、昭和四八年ころより秋子及び春子の経営する店に来ていた関西方面の客で、セモリという名であったとか、秋子は、昭和五二年春ころ、春子からの依頼を受けて自宅を山室鋼機の連絡場所として使わせることを承諾したが、山室鋼機宛ての電話は一度も掛ってきたことはなかったなどといった記載がある。
(2) そこで、右(1)の各証拠の信憑性を検討するに、乙山と原告との取引開始の経緯について、証人乙山松夫及び同戊田二郎と原告代表者とが全く異なる内容の供述をしており、取引関係者間の供述が不自然に食い違っている上、《証拠省略》によれば、乙山は、昭和四九年六月まで極東貿易株式会社に、同月から昭和五〇年五月まではホリデイマジック株式会社に勤務した後、同年一〇月から昭和五一年一二月までは株式会社ニッショー(当時の商号は「日本硝子商事株式会社」)に勤務しており、同社の子会社であるニプロ医工株式会社に出向して営業課長の職に就いていたこと、乙山は、昭和五〇年一月一日から昭和五三年一二月三一日までの間に、業務等の渡航目的で一〇回海外に出国しており、そのうち最も長い出国期間は、二か月近くにも及んでいたことが認められ、さらに、《証拠省略》によれば、乙山が商品の保管及び運送を依頼したと供述する叶興業が設立されたのは、昭和五三年七月であり、同社の代表取締役である毛利章は、同年六月までは西千葉運輸株式会社の代表取締役の地位にあったこと、叶興業あるいは西千葉運輸株式会社が三光金属、山室鋼機あるいは乙山から商品の保管や運送を委託されたことはなかったことが認められ、右各事実に照せば、昭和五〇年一二月から昭和五三年一月までの間、乙山が山本興業に勤務するかたわら瀬守から商品を仕入れ、叶興業に商品の保管、運送を委託して原告へ納入していた旨の証人乙山松夫の供述部分は、およそありえない虚構の事実を述べるものといわざるをえず、到底信用することができない。そして、右のとおり乙山が原告との取引内容について述べる右供述が信用できない以上、原告と乙山との間に右供述内容と同旨の仕入取引が実在していたとし、あるいはこれを前提として種々の内容を述べる原告代表者及び証人戊田二郎の右各供述部分並びに甲第二号証の三の一の右記載もまた信用することができない。
そうだとすれば、右(1)の各証拠は、その余の内容について検討するまでもなく、いずれも信憑性を欠くものというべきである。
2 内外実業との取引について
(一) 原告が、内外実業からの仕入代金として、昭和五一年一〇月期に七〇二一万一四四七円を、昭和五二年一〇月期に六二八三万九九六一円を仕入勘定に計上したことは、当事者間に争いがないところ、被告は、原告と内外実業との仕入取引は、架空取引であり、原告自身が、実在しない内外実業の名称を用いて、あたかも商品の仕入れをしたかのように、納品書等の取引関係資料を作成し、仕入代金を原告の仕入勘定に計上した上、その支払のために約束手形を振り出し、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていたものであると主張するので、この点について検討する。
(1) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
ア 原告と内外実業との仕入取引に係るものとされている内外実業名義の原告宛ての納品書、請求書及び領収証には、同社の本社の住所は「大阪市西成区《省略》33番地(あるいは3―33)」、本社の電話番号は「06(532)××××」と記載されている。しかし、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期を通じて、右の本社住所地には、内外実業とは何の関係もない大和特殊鋼株式会社の倉庫が所在しており、右住所地の所轄法務局の商業登記簿に内外実業に該当する登記はなく、所轄税務署における内外実業に対する課税事績もなかった。また、右の電話番号は、内外実業とは何の関係もないサカイ工器株式会社を加入権者とする電話の番号であって、その設置場所は、大阪市西区《番地省略》の同社大阪営業所内であった。
イ 右の納品書等には、同社の東京営業所の住所は「東京都江戸川区《番地省略》」、その電話番号は「03(618)××××地」と記載されている。しかし、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期を通じて、右の東京営業所の住所地には、丙原冬子が居住するマンション「メゾン丁丘」が所在しており、右住所地の所轄法務局の商業登記簿に内外実業に該当する登記はなく、所轄税務署における内外実業に対する課税事績もなかった。また、右の電話番号は、原告の従業員丙原七郎の妻丙原梅子を加入権者として、「メゾン丁丘」内の丙原冬子の住居に設置された電話の番号であった。
ウ 以上のア及びイの事実を総合すれば、内外実業なる法人は実在せず、架空の取引名義であったことが明らかである。
(2)ア 《証拠省略》を総合すると、原告は、昭和五一年一〇月期及び昭和五二年一〇月期において、内外実業への各月の仕入代金の支払のため、仕入計上月の翌月に約束手形を振り出していたが、これらの約束手形三九葉は、いずれも第一裏書人を「東京都江戸川区《番地省略》 内外実業株式会社、所長丙原八郎」とし、三和銀行亀戸支店及び中央信託銀行亀戸支店の平野吉郎名義普通預金、三菱銀行亀戸支店の野崎商事株式会社(以下「野崎商事」という。)名義普通預金、東武信用金庫亀戸支店の石川千春普通預金、富士銀行亀戸支店の有限会社加山商事(以下「加山商事」という。)名義普通預金及び第一勧業銀行亀戸支店の塩谷国太郎名義普通預金の各口座でそれぞれ取り立てられていたことが認められる。
イ また、《証拠省略》によれば、右アの各普通預金口座の口座名義人に関して、次の事実が認められる。
① 右口座名義人のうち、平野吉郎、石川千春及び塩谷国太郎については、その預金口座の印鑑票に記載されている住所地に住民登録がなく、野崎商事及び加山商事については、その預金口座の印鑑票に記載されている各住所地において、いずれも所轄法務局の商業登記簿に該当の登記がなく(なお、野崎商事については、台東区仲御徒町二丁目二七に同名の法人が登記されていたが、休眠会社であった。)、所轄税務署における右両社に対する課税事績もなかった。
② また、右各口座名義人の印鑑票に記載されている連絡先電話番号は、いずれも(六一八)××××番であり、これは、前記(1)のイのとおり、丙原梅子を加入権者として、「メゾン丁丘」内の丙原冬子の住居に設置された電話の番号であった。
ウ 《証拠省略》によれば、丙原冬子は、原告の船橋営業所に勤務する丙原七郎とその妻で甲野ハウジングの建設した市川市行徳所在のマンション「甲海」の管理人をしていた丙原梅子との間の子であり、本件係争年度当時、右マンションの一階で甲野ハウジングが経営していたレストランの店長をしていた者であったことが認められる。
エ 《証拠省略》によれば、原告が内外実業に振り出した約束手形に係る裏書記載は、いずれも裏書人の表示がゴム印を押捺してされており、その代表者等の名下には、各個人名義の印鑑が押印されているほか、最終裏書人(取立委任裏書人)については、その取立預金口座の印鑑票にも、裏書に用いられたと同一の印鑑が届け出られていたところ、これらのゴム印及び印鑑のうち、石川千春名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに東武信用金庫亀戸支店の同人名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、野崎商事名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに三菱銀行亀戸支店の野崎商事名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、並びに加山商事名義の裏書記載に係る代表者名下の押印及び富士銀行亀戸支店の加山商事名義の普通預金取引に使用されている印鑑は、いずれも原告が乙原六郎に発注して作成させたものであることが認められる。
オ 以上のアないしエの事実を総合すれば、原告が内外実業に振り出した約束手形の取立てに用いられた普通預金口座は、いずれも仮名預金口座であり、原告が開設したものであると認めることができる。
(3) 右(1)及び(2)並びに弁論の全趣旨を総合勘案すると、原告は、実在しない内外実業の名称を用いて、あたかも同社から商品の仕入れをしたかのように納品書、請求書及び領収証等の取引関係資料を作成し、これらに基づいて仕入金額を仕入勘定に計上した上、その仕入代金の支払のためであるかのように同社に対する約束手形を振り出し、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていたものであり、原告が本件係争年度において内外実業との仕入取引に係る仕入代金として計上した金額は、すべて架空仕入れによるものと推認するのが相当である。
(二) しかし、他方において、原告は、内外実業はバッタ屋である丙川が使用した取引名義であって、原告と内外実業との仕入取引は、現実の取引であり、原告が内外実業からの仕入代金支払のために振り出した約束手形が仮名預金口座で取り立てられているのは、丙川が、右約束手形を甲野ハウジングの丁原及び戊田に依頼して割り引いていたからであると主張する。
そして、《証拠省略》中には、内外実業は、原告の従業員丙原七郎の娘の丙原冬子の前の内縁の夫であった丙川が用いていた取引名義であり、丙川は、内外実業名義で東洋バルブ、北沢バルブのバルブ類を売っていたが、内縁の妻の親が原告に勤務していたところから、原告に商品を売り込みに来たとか、内外実業についても仕入商品が実際に納入されているかどうか等の点を調査したが、架空仕入れではなかったとか、内外実業への代金の支払のために振り出した約束手形はすべて架空名義の普通預金口座を通じて取り立てられているが、それは、丙川が原告の振り出した約束手形を正規に銀行で割り引くことができないので、太郎の個人資金の運用をしていた戊田及び丁原に割り引いてもらっていたからであるとか供述する部分があり、また、《証拠省略》中には、それぞれ、内外実業は、丙原冬子の内縁の夫であった丙川が経営していた会社であり、戊田及び丁原が、太郎の個人資金で行っていた裏金融で割引きをした手形の中には、丙川あるいは丙原冬子から依頼されて割り引いた原告の振り出しに係る内外実業宛ての約束手形もあったなどと供述する部分があり、さらに、《証拠省略》(丙原冬子の原告代表者宛ての書簡)には、内外実業は、同人の前夫の丙川が昭和五〇年八月ころより昭和五二年一二月ころまで経営していた会社で、取扱品はバルブ類であり、販売先は、原告外四社くらいであったなどという記載がある。
しかしながら、右各供述部分及び記載は、いずれもこれを裏付けるに足る的確な証拠がない上、丙川は、原告の通常の仕入先とは異なるバッタ屋であったというのであるから、同人が原告との間で取引を開始するには、それなりの経緯があり、また、取引の手順、方法にも特徴があったと思われるのに、右各供述部分及び記載は、いずれも、丙川が、いつ、どのような方法で原告にバッタ商品の売込みをはかって取引が開始されたのかという取引開始に至る具体的経緯について何ら触れるところがなく、また、原告との間でどのように発注、受注等の連絡を取り合って取引を継続していたのかという取引の具体的手順、方法等についても何ら明らかにしていないものであって、不自然であるといわざるをえず、前掲(一)の各証拠に照らし、到底信用することはできない。
3 甲田商会との取引について
(一) 原告が、甲田商会からの仕入代金として、昭和五一年一〇月期に一億五九一八万七一九〇円を、昭和五二年一〇月期に一億七二〇四万七六九〇円を、昭和五三年一〇月期に一億七二四四万四一九一円を仕入勘定に計上したことは当事者間に争いがないところ、被告は、原告と甲田商会との仕入取引は、架空仕入れであり、原告は、同社から架空の取引内容を記載した納品書及び請求書の発行を受けて、同社に仕入代金支払のために約束手形又は小切手を振り出し、他方、同社は、原告へ納入した商品の仕入先に支払ったかのように仮装して仕入代金の支払小切手を振り出し、右小切手を同社の裏書で現金化した上で原告に戻していたと主張する。これに対して、原告は、被告が甲田商会からの架空仕入れであるとする取引は、甲田商会がバッタ屋と原告とを仲介し、バッタ屋から商品を仕入れるとともに、これを原告に売却した取引であると主張するので、この点について検討する。
(二)(1) 右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。
ア 甲田商会は、もと原告の常務取締役資材部長の地位にあった乙田が昭和四一年五月に設立した管工機材の販売を目的とする会社であり、設立以来原告との取引を継続してきたが、昭和四七年ころ、同社の代表取締役であった乙田は、当時原告の千葉方面の統括部長をしていた乙海十郎(以下「乙海」という。)から、原告への納品を水増しして架空売上げを計上するよう要求されてこれを承諾した。甲田商会では、その後、乙海から毎月電話で指示される架空売上金額に応じて、納品書及び請求書を作成し、これを原告に交付するとともに、その納品書及び請求書に基づく架空の売上金額を売上勘定に計上していた。
イ 原告の甲田商会に対する架空売上額の指示は、乙海が退職した後は、原告サービス部の丙海十一郎課長と原告社長室次長であった戊田に引き継がれ、それ以降、甲田商会に対して、架空売上げに計上する品名、数量、単位及び金額まで具体的に指示されるようになった。
ウ 原告は、甲田商会から発行を受けた架空の納品書及び請求書に基づき、仕入代金として、昭和五一年一〇月期に一億五九一八万七一九〇円を、昭和五二年一〇月期に一億七二〇四万七六九〇円を、昭和五三年一〇月期に一億七二四四万四一九一円を仕入勘定に計上するとともに、同社に対し、同社から原告への実際の売上額と架空売上額との合計額から、同社への原告からの実際の仕入額を相殺、控除した金額を、毎月月末に四ヵ月後を支払期日とする約束手形又は小切手を振り出して支払い、甲田商会では、これらの約束手形、小切手を直ちに銀行で割り引いて資金繰りに当てていた。他方、甲田商会では、右約束手形、小切手の支払期日から一〇日ないし一か月程度を経過した時点で、その架空売上額から架空仕入操作の手数料相当額を差し引いた金額を、いずれも実在しない法人あるいは解散した法人である有限会社山口鋳工場、秋元商事株式会社及び有限会社青木鋳物工業所を仕入先とする仕入代金として仕入勘定に計上するとともに、右仕入代金の支払のためであるかのように、取引銀行であった三和銀行永福町支店、世田谷信用金庫永福町支店及び八千代信用金庫笹塚支店の小切手を振り出し、これを振出日の当日又は翌日に乙田あるいはその妻で甲田商会の監査役にあった乙田菊子が甲田商会名義で裏書した上、振出銀行において現金化し、原告の指示に従って、その現金を戊田その他の原告の従業員に交付して、原告に戻していた。なお、甲田商会が取得する架空仕入操作に係る手数料は、当初は、架空売上額の五パーセント相当額とされていたが、本件係争年度当時には、架空売上額の三パーセント相当額に引き下げられており、本件係争年度において、甲田商会が受領した手数料額は、別表二の二、同三の三及び同四の三記載のとおりであった。
エ 甲田商会と原告との架空取引に係る納品書は、その大半を乙田自身が作成していたところ、乙田は、原告への実際の売上げに係る納品書には、宛先欄に営業所名を記入し、納入場所欄には「○○○より直送」とか「○○○お届」と記入していたが、原告との架空取引に係る納品書には、宛先欄に「甲野パイプKK東京」と記入するとともに、納入場所欄には「サービス」と記入するか、あるいは空欄として、実際の売上げに係る納品書と架空売上げに係る納品書とを区別できるようにしていた。
(2) 右の(1)のアないしエの事実を総合勘案すると、原告は、甲田商会との間で被告の主張するとおりの架空仕入取引を行っており、原告が本件係争年度において甲田商会からの仕入取引に係る仕入代金として計上した金額は、すべて架空仕入れによるものであると認められる。
(3)ア もっとも、証人乙田梅夫は、その証言において、甲田商会では、山口鋳工場、秋元商事及び青木鋳物工業所の各名義を使用する川口市所在のバッタ屋三社から、実際にダンピング品を仕入れて、これを原告に納入していたとか、これらの三社に対しては、帳簿上は仕入代金を小切手で支払ったように記帳していたが、現金払いを要求されていたので、実際には、甲田商会が原告への売上金額から三パーセントを引いた額面金額の小切手を振り出し、これを同社が裏書きして現金化した上、仕入代金を現金で支払っていたとか供述し、また、《証拠省略》(いずれも甲田商会から原告宛ての確認書と題する同一の書面)にも、被告が甲田商会からの架空仕入れであるとしている取引は、甲田商会が第三者より商品を購入し、これに多少の口銭を乗せて原告に販売した正常な取引である旨の記載がある。
しかしながら、証人乙田梅夫の証言中には、原告への架空売上げの計上を認めるかのごとき供述をする部分もあり、また、その証言の全体を通じて、あいまいな供述、不自然な供述、矛盾する供述が随所にみられることからすると、右の供述部分及び記載は、前掲(1)の各証拠に照らし、信用することができない。
イ また、《証拠省略》中には、甲田商会から原告が仕入れる商品は、そのほとんどがバッタ商品であり、被告が架空仕入取引であると主張する取引も、甲田商会がバッタ屋から商品を仕入れ、それを原告に納入した取引であったとか、甲田商会が仕入れ計上した金額は、原告への売上計上金額から三ないし五パーセント程度を差し引いた金額とされているが、甲田商会が原告からの約束手形を割り引いているとすると、この程度の帳簿上の利益しかないとすれば取引のメリットはないことになるとか、被告が架空仕入取引であると主張する甲田商会との取引は、昭和五四年一月まで続いたが、昭和五三年五月から約一年半にわたって査察部の原告に対する調査が続き、その間、何度も甲田商会並びに原告の本社及び営業所に対する臨検が繰り返され、甲田商会から仕入れた商品が現実に動いたかどうかの調査がされたにもかかわらず、架空仕入れは発見されなかったのであり、厳しい査察調査の臨検の中で架空仕入れを継続するなどということは到底不可能であるとか供述する部分がある。
しかしながら、原告が甲田商会から仕入れた商品がバッタ商品であることを裏付けるに足る客観的証拠はないし、《証拠省略》によれば、甲田商会は、本件係争年度当時、資金繰りに窮しており、専ら原告から振り出された約束手形を割り引くことにより資金の回転を図っていた状態であって、たとえ、四か月先を支払期日とする約束手形であっても、これを受領することが、資金繰りに多大の寄与をしていたことが認められ、右事実に照せば、原告と甲田商会との架空仕入取引により甲田商会が受ける利益が、原告の仕入代金額の三パーセントにすぎないものであり、約束手形及の割引料に満たない金額であったとしても、なお同社には架空仕入取引を行うメリットがあったというべきであるから、甲田商会が受ける利益が少ないという事実をもって前記(1)の認定を左右するに足りないというべきであるし、《証拠省略》によれば、本件係争年度当時、原告は甲田商会との間で商品の授受を伴った通常の取引も継続していたこと、また、原告は、当時、全国に五〇前後の事業所を有し、年商は四〇〇億円から五〇〇億円、仕入先は八〇〇社ないし一〇〇〇社、販売先は約一万五〇〇〇社に及んでおり、扱う商品の種類も管工機材のみで約三万点もあったことから、一旦原告に在庫として納品された商品の販売先を伝票等から追跡調査することは事実上不可能であったことが認められ、右事実からすれば、原告への東京国税局査察部の調査が開始した後も、原告が右調査により発見されるおそれはないと考えて、甲田商会との架空仕入取引を継続していたとしても不自然ではなく、原告と甲田商会との架空仕入取引が査察調査中も継続していたことのみをもって、右取引が現実に商品の授受を伴った取引であったとみることはできないというべきである。
ウ さらに、証人乙海十郎及び同戊田二郎の各証言中には、乙海は、船橋営業所に勤務していたので、甲田商会に対して、原告に架空売上げを計上するよう要求する権限はなかったとか、戊田は、乙海と業務上の関連がほとんどなかったから、乙海の行なっていた架空売上額の指示の役割を引き継いだことはないとか供述する部分があり、《証拠省略》中にも同趣旨の記載部分がある。
しかしながら、事柄の性質上、原告の社内で、取引先に対して架空売上げの計上を要求するような行為を行なう権限を本来的に有する者が存在するはずはないのであって、原告のごく一部の社員が通常の業務とは別に特別に関与するにすぎないものであるから、乙海の原告の社内における業務上の権限と、同人が甲田商会に対して架空売上げの計上を要求したか否かとは直接の関係はないというべきであるし、また、原告の社内において、戊田の担当していた業務と乙海の担当していた業務とが関連を有していなかったとしても、架空売上額の指示は、前任者と後任者との間で業務の引継ぎを行うような原告の通常の業務の範囲には含まれないのであるから、このことにより、戊田が乙海から架空売上額の指示の役割を引き継いだとの認定が左右されるものでもない。
したがって、証人戊田二郎及び同乙海十郎の右各供述部分並びに右各記載部分は、いずれも採用することができない。
4 日本鉄鋼との取引について
(一) 原告が、日本鉄鋼からの仕入代金として、昭和五一年一〇月期に一億六三九九万八九〇〇円を、昭和五二年一〇月期に二億一五一一万九〇八〇円を、昭和五三年一〇月期に七四四五万九一〇〇円を仕入勘定に計上したことは当事者間に争いがないところ、被告は、原告と日本鉄鋼との仕入取引は、架空仕入れであり、原告は、日本鉄鋼から架空の納品書、請求書及び領収書の発行を受けて、同社に仕入代金支払のために約束手形を振り出し、他方、同社から右約束手形に見合う見返り手形の発行を受けて、これを原告の開設した仮名普通預金口座において取り立てていたと主張する。これに対して、原告は、被告が架空仕入れと主張する取引の内容は、原告が日本鉄鋼に模造製品の製造方を依頼し、その製品を仕入れた特殊な取引であり、原告としては、右模造製品の仕入取引についても通常の仕入取引と同様の手続によりその代金を約束手形で支払っていたにすぎないと主張するので、この点について検討する。
(二)(1) 右争いのない事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。
ア 日本鉄鋼は、水道用異型管及び継手の製造メーカーであり、昭和四六、七年ころから、原告との取引を継続していたが、昭和五一年一月ころ、資金繰りが悪化したため、同社の取締役営業部長であった新井は、原告の社長室次長であった丁原に対して、融通手形の発行により原告から融資を受けたい旨の依頼をした。これに対して、丁原は、融資の条件として融通手形による融資金額に見合う架空の取引内容を記載した納品書、請求書及び領収証を原告に発行し、その取引内容に応じた架空売上げを計上するよう要求し、日本鉄鋼は、融資を受けるために已むなく原告の条件を受け入れ、同年二月以後、昭和五三年三月まで、原告から融通手形の発行による融資を受けるたびに、融資額に相当する金額の架空の納品書、請求書及び領収書を発行した。もっとも、日本鉄鋼では、原告との取引の条件に相違して、帳簿上は、架空取引の内容に応じた架空売上げを計上せず、原告からの受取手形を、融通手形による融資の実態に合せて仮受金として計上していた。
イ 原告は、日本鉄鋼から受領した架空の納品書、請求書及び領収証に基づき、仕入代金として、昭和五一年一〇月期に一億六三九九万八九〇〇円を、昭和五二年一〇月期に二億一五一一万九〇八〇円を、昭和五三年一〇月期に七四四五万九一〇〇円を仕入勘定に計上した上、同社に対し、実際は融通手形であるのに、仕入代金の支払のためであるかのごとく仮装して約束手形を振り出していた。他方、日本鉄鋼は、原告から受領した約束手形を銀行で割り引いて資金繰りに当てるとともに、右約束手形に見合う見返り手形を原告に振り出していた(もっとも、昭和五三年三月分の手形融資額(架空仕入金額)に係るものとして受領した額面一〇〇〇万円及び四八一万八七〇〇円の各約束手形に対しては、原告から一部を現金で戻すよう要求されたため、日本鉄鋼は、額面三三二万円及び八〇〇万円の二葉の見返り手形を振り出すとともに、額面三五〇万円の小切手を振り出した上で自らの裏書きにより現金化し、これを原告に交付した。)。日本鉄鋼は、右見返り手形を振り出すに際し、原告に対して、融資を受ける際の条件どおり、帳簿上、原告の架空仕入れに対応した架空売上げを計上していると見せ掛けるため、右架空売上げに対応する架空仕入先に振り出した約束手形であるかのように第一裏書欄に別表六記載の架空の第一裏書人の記名押印をした上で原告に交付していた。
ウ① 原告は、日本鉄鋼から受領した右見返り手形を公表帳簿に計上することなく、別表七記載の各普通預金口座で取り立てていた。
② 右各預金口座の口座名義人のうち、市原悦三(大和銀行新橋支店の預金口座名義人)、石川千春(東海銀行亀戸支店の預金口座名義人)、赤塚秀夫、佐藤悦郎、藤木三吉、長谷部和俊及び戊田十四郎については、その預金口座の印鑑票に記載されている住所地に住民登録がなく(なお、市原悦三(太陽神戸銀行浅草橋支店の預金口座名義人)、平野吉郎、石川千春(東武信用金庫亀戸支店の預金口座名義人)及び塩谷国太郎の各預金口座の印鑑票に記載されている住所地に住民登録がないことは、前記1の(一)の(3)のイの①及び2の(一)の(2)のイの①のとおりである。)、また、内外実業、野崎商事、加山商事(三井銀行錦糸町支店の預金口座名義人)、株式会社大興商事(以下「大興商事」という。)及び株式会社中央商事については、その預金口座の印鑑票に記載されている住所地において、いずれも所轄法務局の商業登記簿に該当の登記がなく、所轄税務署における右各社に対する課税事績もなかった(なお、三光金属、加山商事(富士銀行亀戸支店の預金口座名義人)の各預金口座の印鑑票に記載されている住所地において、いずれも所轄法務局の商業登記簿に該当の登記がなく、所轄税務署における課税事績もなかったことは、前記1の(一)の(1)のイ、ウ及び2の(一)の(2)のイの①のとおりである。)。
③ また、右口座名義人の印鑑票に記載されている連絡先電話番号は、別表七の該当欄記載のとおりであるところ、三光金属の連絡先電話番号として記載されている〇四七三(二四)五五三五番は、前記1の(一)の(1)のウのとおり、春子を加入権者として、同人の住所に設置された電話の番号であり、市原悦三(太陽神戸銀行浅草橋支店の預金口座名義人)の印鑑票に連絡先電話番号として記載されている(五七一)××××番は、前記1の(一)の(3)のイの①のとおり、春子を加入権者として、バー「甲川」に設置された電話の番号であり、また、市原悦三(大和銀行新橋支店の預金口座名義人)及び山ノ井芳治(太陽神戸銀行浅草橋支店の預金口座名義人)の各印鑑票に連絡先電話番号として記載されている(五八五)××××番は、前記一の(一)の(2)のイのとおり、秋子を加入権者として、「乙川ハイツ」内の同人の住居に設置された電話の番号であり、さらに、内外実業、平野吉郎、野崎商事、石川千春、塩谷国太郎、加山商事(三井銀行錦糸町支店の預金口座)及び株式会社大興商事の各預金口座の印鑑票に連絡先電話番号として記載されている(六一八)××××番は、前記2の(一)の(1)のイのとおり、丙原梅子を加入権者として丙原冬子の住所に設置された電話の番号であり、有松善治の各印鑑票に連絡先電話番号として記載されている〇六(四七一)××××番は、本件係争年度当時は、使用されていない番号であった(なお、市原悦三(太陽神戸銀行浅草橋支店の預金口座名義人)の印鑑票に記載された連絡先電話番号が、春子を加入権者として、バー「甲川」に設置された電話の番号であること及び山ノ井芳治(三井信託銀行新橋支店の預金口座名義人)の印鑑票に記載された連絡先電話番号が、秋子を加入権者として、「乙川ハイツ」内の同人の住居に設置された電話の番号であることは、前記1の(一)の(3)のイの①のとおりであり、また、加山商事(富士銀行亀戸支店の預金口座名義人)の印鑑票に記載された連絡先電話番号が、丙原梅子を加入権者として丙原冬子の住所に設置された電話の番号であることは、前記2の(一)の(2)のイの②のとおりである。)。
④ 原告が日本鉄鋼より受領した見返り手形の大部分は、最終裏書人(取立委任裏書人)がゴム印を押捺して表示されており、また、その代表者等の名下には、各個人名義の印鑑が押印されているほか、その取立預金口座の印鑑票にも、裏書に用いられたと同一の印鑑が届け出られていたところ、これらのゴム印及び印鑑のうち、石川千春名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに東海銀行亀戸支店の同人名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、加山商事名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに三井銀行綿糸町支店の加山商事名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、並びに山ノ井芳治名義の裏書記載の同人名下の押印及び太陽神戸銀行浅草橋支店の同人名義の普通預金取引に使用されている印鑑は、いずれも原告が乙原六郎に発注して作成させたものである(なお、野崎商事名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに三菱銀行亀戸支店の野崎商事名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、石川千春名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその名下の押印並びに東武信用金庫亀戸支店の同人名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、加山商事名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその代表者名下の押印並びに富士銀行亀戸支店の加山商事名義の普通預金取引に使用されているゴム印及び印鑑、並びに山ノ井芳治名義の裏書記載の同人名下の押印及び三井信託銀行新橋支店の同人名義の普通預金取引に使用されている印鑑が、原告が乙原六郎に発注して作成させたものであることは、前記1の(一)の(3)のエの①及び2の(一)の(2)のエのとおりである。)。
エ 日本鉄鋼と原告との架空取引に係る納品書は、その大部分を同社の社員であった丁海月子が作成していたところ、同人は、架空取引に係る納品書には、大月名義の丸印を押印して実際の売上げに係る納品書と区別できるようにしていた。
(2) 右(1)のアないしエの事実と前記1の(一)の(3)のウ及び2の(一)の(2)のウの各認定事実とを総合勘案すると、原告は、日本鉄鋼との間で被告の主張するとおりの架空仕入取引を行っており、原告が本件係争年度において日本鉄鋼からの仕入取引に係る仕入代金として計上した金額は、すべて架空仕入れによるものであると認められる。
(3)ア もっとも、証人戊海十二郎及び同丁原一郎並びに原告代表者は、その証言あるいは尋問の結果において、日本鉄鋼は、原告の丙田部長から鋳鉄製品のバルブと排水器具の模造製品を製造するよう依頼を受け、昭和五一年から昭和五三年にかけて、これを下請業者の有限会社甲谷工業(以下「甲谷工業」という。)、乙谷鋳造株式会社(以下「乙谷鋳造」という。)及び丙谷鋳造所こと丁谷十二郎(以下「丙谷鋳造所」という。)の三社に製造させ、製品を右下請業者から原告に直送させて納品したとか、右の模造製品取引に係る納品書は、鋳鉄直管等の虚偽の品名、数量、単価を記載し、代金総額のみが実際の売上げに合致するように作成したとか、日本鉄鋼は、原告から模造製品の仕入代金の支払のために振り出された約束手形を受領するのとは別に、自ら振り出した約束手形を丁原に依頼して割り引き、これにより得た現金で模造製品を製造した三社の下請業者に対する仕入代金を支払っていたとか、日本鉄鋼は、模造製品取引により相当額の利益を得ていたが、これを隠ぺいするため、原告から模造製品の代金として受領する受取手形を融通手形と見せ掛けるべく、帳簿上は仮受金として処理するとともに、下請業者に支払う現金を得るために振り出した約束手形の額面額と右受取手形の額面額とを同額としたとか、日本鉄鋼が丁原に自己振出しの約束手形を割り引いてもらっていたのは、同人が甲野ハウジングを退社する昭和五二年一二月までであり、その後は、丁原に割り引いてもらっていた自己振出しの約束手形を大阪の金融業者戊谷十四郎に割り引いてもらっていたとか供述し、《証拠省略》にも同趣旨の記載部分がある。
イ しかしながら、《証拠省略》によれば、日本鉄鋼が模造製品を製造させたとする甲谷工業、乙谷鋳造及び丙谷鋳造所は、日本鉄鋼からの発注により他社の商品の模造製品を製造したことはないこと、甲谷工業及び乙谷鋳造では、日本鉄鋼への売上代金は、すべて手形で受領しており、現金や小切手で売上代金を受領したことはなかったこと、乙谷鋳造は、日本鉄鋼から発注された製品を日本鉄鋼以外の会社に納品したことはなかったことが認められ、右事実に照らせば、日本鉄鋼が甲谷工業ら三社に製造させた模造製品を、原告が日本鉄鋼から仕入れたとする右各供述及び記載部分は、到底信用することができないのみならず、日本鉄鋼が、原告から受領した約束手形に見合う約束手形を振り出す際に、第一裏書欄に別表六記載の架空の第一裏書人の記名押印をしていたことは、前記(二)の(1)のイのとおりであるところ、仮に日本鉄鋼が、模造製品の下請業者に現金で仕入代金を支払うために約束手形を振り出し、これを丁原に割り引いてもらうことによって手形融資を得ていたのだとすれば、同社が自己振出しの約束手形に架空の第一裏書欄の記載をするといった操作をする必要はなかったはずであり、日本鉄鋼が原告の仕入取引とは無関係に丁原から手形融資を得ていたとする右各供述及び記載部分は、この点からも信用することができない。
なお、日本鉄鋼が丁原に自己振出しの約束手形を割り引いてもらっていたのは、同人が甲野ハウジングを退社する昭和五二年一二月までであり、その後は、丁原に割り引いてもらっていた自己振出しの約束手形を大阪の金融業者戊谷十四郎に割り引いてもらっていたとの供述については、確かに前記(二)の(1)のウの①の認定事実と《証拠省略》とを総合すれば、原告が日本鉄鋼に振り出した約束手形のうち、支払期日が昭和五三年五月二八日以降となっている九葉の約束手形は、いずれも最終裏書(取立委任裏書)に係る裏書人の表示が「大阪市西淀川区《番地省略》戊谷十四郎」であり、同人名義の大和銀行新大阪駅前支店あるいは第一勧業銀行南船場支店の各普通預金口座で取り立てられていたことが認められるが、他方において、右各証拠に前記1の(一)の認定事実と《証拠省略》とを総合すれば、右九葉の約束手形の最終裏書欄の「戊谷十四郎」名下に押捺されている印影は、原告が山室鋼機に対して振り出し、自ら開設した仮名預金口座である大和銀行虎の門支店の沢松商事名義の普通預金口座で取り立てた約束手形の裏書欄の「戊谷十五郎」名下に押捺されている「戊谷」の印影と同一であり、右の「戊谷」の印影は、原告の支配下にあった印鑑により顕出されたものと認められ、加えて、前記(二)の(1)のウの認定事実と《証拠省略》とを総合すれば、戊谷十四郎名義の右各預金口座は仮名預金口座であること、右九葉の約束手形のうち六葉については、当初、第二裏書欄に「戊谷十四郎」とは別の裏書人による裏書記載がされていたが、東京国税局の査察調査が開始された昭和五三年五月に至って、原告の社長室次長であった丁原が日本鉄鋼の協力を得て、当初の第二裏書欄の記載を抹消した上で、「戊谷十四郎」名義に第二裏書欄を書き換えたこと、丁原が右のような操作をした目的は、取立金融機関を大阪の金融機関に変更するためであったこと、右九葉の約束手形のうち、少なくとも大和銀行新大阪駅前支店の戊谷十四郎名義普通預金口座で取り立てられた七葉の約束手形は、丁原の兄である甲丘月夫が割り引いて取り立てていることが認められるのであって、これらの事実を総合すると、右九葉の約束手形は、日本鉄鋼が原告に振り出した他の約束手形と同様に、原告の振り出した融通手形に見合う見返り手形であったにもかかわらず、原告は、日本鉄鋼がこれを振り出した後に、第二裏書欄を書き換える等して、その取立預金口座を大阪の金融機関とし、丁原の兄の甲丘月夫に取立てを依頼して、原告からの融通手形に見合う見返り手形であることが税務当局に発覚しないよう工作したものと推認するのが相当であり、したがって、丁原が甲野ハウジングを退社した後に取り立てられた右各約束手形が大阪の金融機関で取り立てられていたことをもって、日本鉄鋼が原告に対して振り出した約束手形が、原告の振り出した融通手形に見合う見返り手形であったことを否定する根拠とすることはできない。
以上検討してきたところによれば、アの各供述及び記載部分は、いずれも採用することができないというべきである。
5 甲野春夫との取引
(一) 原告が、甲野機材こと甲田春夫からの仕入代金として、昭和五一年一〇月期に五四四万九六一二円を、昭和五二年一〇月期に一七二五万六二四七円を仕入勘定に計上したことは当事者間に争いがないところ、被告は、原告と甲野春夫との仕入取引は、架空仕入れであり、原告は、甲野春夫に依頼して、架空の仕入取引の内容を記載した納品書及び請求書の発行を受け、その仕入代金の支払のためであるかのように仮装して同人に対して小切手あるいは約束手形を振り出し、小切手については、原告自らの裏書により現金化し、約束手形については、原告が開設した仮名普通預金口座において取り立てて回収していたと主張し、これに対して、原告は、被告が、甲野春夫からの架空仕入れであると主張する取引は、原告が北口から商品を仕入れた取引であると主張するので、この点について検討する。
右争いのない事実に、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(1) 甲野春夫は、昭和四八年五月に、甲野機材の屋号で管材設備機器の小売店を開業し、昭和五二年二月ころに廃業するまで原告と取引を継続していたが、昭和五〇年一月ころ、太郎から、原告に対して毎月五〇〇万円から五五〇万円の架空売上げを計上し、これに対応する架空の納品書、請求書及び領収証を作成して、原告に届けるよう依頼され、これを引き受けた。甲野春夫は、原告への架空売上げに係る納品書、請求書を作成して、太郎の長男でかつ当時原告の船橋営業所に勤務する原告の従業員であった甲野一夫あるいは当時原告の船橋営業所長であった乙海に交付していた。
(2) 原告が昭和五一年一〇月期において、甲野春夫からの仕入代金として仕入勘定に計上した五四四万九六一二円は、甲野春夫が原告の依頼によって昭和五〇年一〇月二七日から同年一一月一九日までの間に発行した架空の納品書一四枚を基にしたものであり、原告は、右仕入代金の支払のために昭和五〇年一二月一〇日に第一勧業銀行本所支店を支払場所とする小切手を振り出したが、右小切手は、同月一一日に原告の裏書により同支店において現金化された。
(3)ア また、昭和五二年一〇月期における原告と甲野春夫との取引は、甲野一夫の依頼に応じてされた架空仕入取引であり、昭和五一年一〇月期と同様に甲野春夫が架空の納品書、請求書及び領収証を作成して原告に交付し、原告は、これに基づいて一七二五万六二四七円を仕入代金として仕入勘定に計上したが、原告から甲野春夫に対する仕入代金の支払は一切なく、また、当時、甲野春夫は、原告の系列会社である甲野ハウジングに対して約一五〇〇万円の借入金があったため、架空売上げに対する手数料も受領しなかった。
イ 原告は、昭和五二年一〇月期における甲野春夫からの仕入代金の支払のために、約束手形を振り出していたが、右約束手形六葉は、すべて第一裏書人(取立委任裏書人)を「千葉県柏市《番地省略》 甲野機材 代表甲野春夫」とし、富士銀行綿糸町支店の代田大輔名義普通預金口座で取り立てられていた。
ウ 右イの普通預金口座の印鑑票によれば、代田大輔の住所地は、「江戸川区《番地省略》」、連絡先は「江戸川区平井《番地省略》 618―×××× 丙原」と記載されているところ、右の住所地には、代田大輔の住民登録は存在しない上、連絡先の住所及び電話番号は、前記2の(一)の(1)のイのとおり、丙原冬子の住所及び同人の使用する電話の番号であった。
エ また、右アの六葉の約束手形の代田大輔名義の裏書記載に係る裏書人の表示及びその名下の押印並びに富士銀行綿糸町支店の同人名義の普通預金取引に使用されているゴム印及びは印鑑は、原告が乙原六郎に発注して作成させたものであった。
(二) 以上の事実と前記2の(一)の(2)のウの認定事実とを総合勘案すると、原告は、甲田春夫に依頼して、架空の仕入取引の内容を記載した納品書及び請求書の発行を受け、その仕入代金の支払のためであるかのように仮装して同人に対して小切手あるいは約束手形を振り出し、小切手については、原告自らの裏書により現金化し、約束手形については、原告が開設した仮名普通預金口座において取り立てて回収していたものであり、原告が本件係争年度において甲田春夫との仕入取引に係る仕入代金として計上した金額は、すべて架空仕入れによるものと認められ(る。)《証拠判断省略》
6 以上の1ないし5で検討してきたところによれば、原告が本件係争年度において三光金属、山室鋼機、内外実業、山手管材商会、日本鉄鋼及び甲野春夫からの仕入代金として仕入勘定に計上した金額は、すべて架空仕入れに基づくものである。
三 本件土地の譲渡益計上もれについて
1 被告は、原告が、昭和五二年五月一四日に、その所有に係る本件土地を木田建設に対して、実際は二億四〇〇〇万円で譲渡したにもかかわらず、一億六〇〇〇万円しか収益に計上していなかったので、その差額八〇〇〇万円は土地譲渡益計上もれであると主張するので、この点について検討する。
2 原告が昭和五二年五月一四日にその所有に係る本件土地を木田建設に譲渡したこと及び原告が本件土地の譲渡による収益として一億六〇〇〇万円を計上したことは当事者間に争いがなく、右事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和五〇年六月二三日、株式会社千葉農林から本件土地を代金額一億六〇〇〇万円で取得し、その直後の同年八月一五日、本件土地に千葉相互銀行を根抵当権者とする極度額二億円の根抵当権を設定した。
(二) 原告は、昭和五二年五月一四日、本件土地を木田建設に対して、代金額二億四〇〇〇万円で譲渡したが、原告、木田建設間の売買契約書上は、代金額を取得価額と同額の一億六〇〇〇万円とし、原告も一億六〇〇〇万円しか収益に計上しなかった。そして、本件土地の譲渡益である差額八〇〇〇万円については、右売買契約時に、領収書を授受しない裏金とし、これを甲野ハウジングに対して昭和五二年五月以降毎月八〇〇万円づつ一〇回に分割して支払う旨の木田建設から甲野ハウジング宛ての覚書が作成された。
(三) その後、木田建設は、原告に対して、本件土地の売買契約書上の売買代金一億六〇〇〇万円を、契約締結日である昭和五二年五月一四日及び同年八月一七日に小切手を振り出して各一六〇〇万円の合計三二〇〇万円支払い、残額の一億二八〇〇万円については、同年八月一七日に、支払期日を同年九月一六日、同年一〇月一五日、同年一一月一五日、同年一二月一五日、昭和五三年一月一七日、同年二月一五日、同年三月一五日、同年四月一五日とする各一六〇〇万円の約束手形八葉を振り出し、これらの約束手形を決済することにより支払った。
他方、木田建設は、右の差額分八〇〇〇万円を、原告に対して、別表三の二のとおり支払ったのであるが、そのうちの四〇〇〇万円については、昭和五二年五月一四日、同年八月三〇日、同年一〇月二五日、昭和五三年一月一八日及び同年二月一四日にそれぞれ額面八〇〇万円の小切手逐次五葉を振り出した上で現金化し、これを原告の担当者であった戊田に交付して支払い、その際は、帳簿上、相手科目を「仮払金」あるいは「外註」として計上し、本件土地の取得価額の一部ではないかのように処理していた。しかし、木田建設は、同年四月一四日に、昭和五二年九月、同年一一月及び同年一二月に支払うべき各八〇〇万円の計二四〇〇万円を、当時、甲野ハウジングが木田建設に建築を請け負わせていたパチンコ店「佐倉エリザベス」の建築請負工事代金と相殺し、それと同時に、右の仮払金あるいは外註の勘定に計上していた四〇〇〇万円を土地勘定に振り替え、右相殺分及びその余の一六〇〇万円を含めた右の差額分八〇〇〇万円をすべて土地勘定に追加して計上し、帳簿上の本件土地の取得価額を二億四〇〇〇万円に修正した。
(四) 右(一)ないし(三)の事実を総合すれば、原告は、木田建設に対して本件土地を二億四〇〇〇万円で譲渡しながら、その譲渡益八〇〇〇万円を隠ぺいするため、木田建設と通謀して、売買代金額を一億六〇〇〇万円とする売買契約書を作成し、一億六〇〇〇万円のみを収益に計上するとともに、譲渡益の八〇〇〇万円については、簿外の裏金とし、これを甲野ハウジングが受領したかのように仮装したものと推認すべきであり、《証拠省略》中、右認定に反する部分は信用することができない。
したがって、右八〇〇〇万円は、原告の譲渡益の計上もれであると認められる。
(五)(1) もっとも、原告は、右八〇〇〇万円の譲渡益は、甲野ハウジングに帰属するものであり、原告に帰属するものではないとし、その根拠として、原告が、昭和五一年七月二一日甲野ハウジングに対して、本件土地を一年以内に転売させる目的で、これを代金額一億六〇〇〇万円で売り渡していることからすれば、木田建設に対する本件土地の実質的な売主は甲野ハウジングであり、仮にそうでないとしても、甲野ハウジングは原告から本件土地の売却を委任されて、原告と木田建設との間の売買契約を締結させ、転売差益である八〇〇〇万円を仲介報酬として受領したものであると主張する。
そこで、まず原告が、昭和五一年七月二一日に甲野ハウジングに対して本件土地を売り渡したか否かについて検討するに、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第三七号証(原告、甲野ハウジング間の本件土地の売買契約書)には、原告が右同日に甲野ハウジングに対し、本件土地を売り渡した旨の記載があり、《証拠省略》中にも、右契約書の記載どおりの売買契約が締結された旨を供述する部分がある。しかしながら、《証拠省略》によれば、右契約書は、原告と木田建設との本件土地の売買契約締結後に作成されたことが認められるから(《証拠判断省略》)、甲第三七号証の記載あるいはこれに基づく証人戊田二郎及び原告代表者の右各供述部分をもって、原告、甲野ハウジング間の右売買契約締結の事実を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
そうすると、原告の右主張は、その前提事実を欠くものであって理由がないというべきである。
(2) また、木田建設が、昭和五三年四月一四日、本件土地の譲渡益八〇〇〇万円のうち二四〇〇万円を甲野ハウジングが木田建設に請け負わせていたパチンコ店「佐倉エリザベス」の建築請負代金と相殺したことは右(三)のとおりであるが、前記二の1の(二)の(2)のとおり、甲野ハウジングは原告の不動産部を独立させて別法人とした原告の系列会社であるから、原告が甲野ハウジングに代わってその建築請負代金債務を弁済することも充分に考えられるところであり、したがって、右事実をもって直ちに右八〇〇〇万円が甲野ハウジングに帰属する根拠とすることはできないというべきである。
さらに、《証拠省略》中には、甲野ハウジングは、本件土地の譲渡益八〇〇〇万円について修正申告しているから、右八〇〇〇万円は、同社に帰属すべき収益である旨供述する部分があるが、仮に甲野ハウジングが右八〇〇〇万円の譲渡益は自らに帰属するとして修正申告をしているとしても、それは右八〇〇〇万円の帰属についての甲野ハウジングの主観的な評価を表わすものにすぎないから、これを原告に帰属する収益であると認定することの妨げとなるものではない。
四 本件係争年度の原告の所得について
1 昭和五一年一〇月期分
(一) 原告の申告所得金額が別表二の一のⅠのとおりであることは当事者間に争いがない。
(二) 原告が合計四億七三五八万〇二一三円を仕入金額として損金の額に計上したことは当事者間に争いがなく、右の仕入金額が架空仕入れに基づくものであることは二のとおりであるから、右金額を所得金額に加算すべきである。
(三) 原告が租税特別措置法五三条一項(昭和五二年法律第九号による改正前のもの)に基づき、価格変動準備金六六〇〇万円を損金経理の方法により積み立てていたこと及び被告が原告に対し、昭和五五年六月一九日付けで本件取消処分をしていることは当事者間に争いがないところ、同項によれば、価格変動準備金として積み立てた金額が損金の額に算入されるためには、青色申告書を提出する法人であることが要件の一つとされており、また、本件取消処分が適法であることは後記七のとおりであるから、右金額は損金算入の要件を欠き、これを原告の所得金額に加算すべきである。
(四) 原告が甲田商会に対する架空仕入れを計上するに当たり、別表二の二のとおり、各月の架空仕入計上額の三パーセント相当額を同社に支払っていたことは、前記二の3の(二)の(1)のウのとおりであるから、右支払手数料四七七万五六一八円は損金として原告の所得金額から減算すべきである。
(五) 原告が日本鉄鋼に対する融通手形の発行に便乗して架空仕入れを計上していたことは、前記二の3のとおりであり、《証拠省略》によれば、右の架空仕入操作の過程において、別表二の三のとおり、原告が振り出した融通手形の合計金額と、原告が日本鉄鋼から受け取った見返り手形の合計金額との間に、一五万八七三〇円の受取不足額があったことが認められるので、右金額を原告の所得金額から減算すべきである。
(六) 前記事業年度の価格変動準備金の戻入金として益金の額に計上していた五五〇〇万円を原告の所得から減算すべきことは当事者間に争いがない。
(七) 右(一)ないし(六)によれば、原告の昭和五一年一〇月期の所得金額は、五億〇五九一万二二八五円となる。
2 昭和五二年一〇月期分
(一) 原告の申告所得金額が別表三の一のⅠのとおりであることは当事者間に争いがない。
(二) 原告が過大に益金の額から減算していた還付県民税一九〇〇円を原告の所得金額に加算すべきことは当事者間に争いがない。
(三) 原告が合計五億四六九三万九六九六円を仕入金額として損金の額に計上したことは当事者間に争いがなく、右の仕入金額が架空仕入れに基づくものであることは二のとおりであるから、右金額を所得金額に加算すべきである。
(四) 原告が昭和五二年五月一四日にその所有に係る本件土地を木田建設に譲渡したこと及び原告が本件土地の譲渡による収益として一億六〇〇〇万円を計上したことは当事者間に争いがなく、本件土地の譲渡価格が二億四〇〇〇万円であり、一億六〇〇〇万円との差額八〇〇〇万円が原告に帰属する収益であったことは前記三のとおりであるから、右金額を原告の所得金額に加算すべきである。
(五) 原告が租税特別措置法五三条一項(昭和五三年法律第一一号による改正前のもの)に基づき、価格変動準備金として六八〇〇万円を損金経理の方法により積み立てていたこと及び昭和五一年一〇月期の価格変動準備金の戻入金として六六〇〇万円を益金に計上していたことは当事者間に争いがないところ、前記1の(三)と同様の理由により、右六八〇〇万円は損金算入の要件を欠くから、これを原告の所得金額に加算すべきであり、また、前記1の(三)のとおり、昭和五一年一〇月期の価格変動準備金の積立額六六〇〇万円は、既に益金の額に加算されているのであるから、結局、右六八〇〇万円と六六〇〇万円との差額二〇〇万円を原告の所得金額に加算すべきこととなる。
(六) 原告が益金の額に過大に加算した付帯税の額二万六八五〇円を原告の所得金額から減算すべきことは当事者間に争いがない。
(七) 原告が甲田商会に対する架空仕入れを計上するに当たり、別表三の三のとおり、各月の架空仕入計上額の三パーセント相当額を同社に支払っていたことは、前記二の3の(二)の(1)のウのとおりであるから、右支払手数料五一六万一四三〇円は損金として原告の所得金額から減算すべきである。
(八) 原告が日本鉄鋼に対する融通手形の発行に便乗して架空仕入れを計上していたことは、前記二の4のとおりであり、《証拠省略》によれば、右の架空仕入操作の過程において、別表三の四のとおり、原告が振り出した融通手形の合計金額と、原告が日本鉄鋼から受け取った見返り手形の合計金額との間に、八八八〇円の受取不足額があることが認められるので、右金額を原告の所得金額から減算すべきである。
(九) 昭和五一年一〇月期更正により、原告の同期の所得金額は、四億七九六四万五八六五円増加するので、地方税法七二条の二二第一項により、右増加所得金額に一〇〇分の一二を乗じて得た額である五七五五万七四〇〇円を事業税の未納付税額として原告の所得金額から減算すべきである。
(一〇) 右の(一)ないし(九)によれば、原告の昭和五二年一〇月期の所得金額は、六億四二〇六万八六八四円となる。
3 昭和五三年一〇月期分
(一) 原告の申告所得金額が別表三の一のⅠのとおりであることは当事者間に争いがない。
(二) 原告が合計二億五六七五万六五〇一円を仕入金額として損金の額に計上したことは当事者間に争いがなく、右の仕入金額が架空仕入れに基づくものであることは二のとおりであるから、右金額を所得金額に加算すべきである。
(三) 原告が租税特別措置法六二条(昭和五四年法律第一五号による改正前のもの)に規定する交際費等の損金不算入額の計算を誤ったことにより、五万七三七五円を原告の所得金額に加算すべきことは当事者間に争いがない。
(四) 原告が日本鉄鋼に対する融通手形の発行に便乗して架空仕入れを計上していたことは、前記二の4のとおりであり、《証拠省略》によれば、右の架空仕入操作の過程において、別表四の二のとおり、原告が振り出した融通手形の合計金額と、原告が日本鉄鋼から受け取った見返り手形の合計金額との間に、五五〇〇円の受取過剰額があることが認められるので、右金額を原告の所得金額に加算すべきである。
(五) 原告が三光金属に係る仕入計上額とその支払のために振り出した約束手形金額との間に生じた差額(支払不足額)一万三二八〇円を値引きを受けたものとして処理していたことは当事者間に争いがなく、三光金属に係る仕入計上額が架空仕入れに基づくものであることは二の1のとおりであるから、右金額を原告の所得金額から減算すべきである。
(六) 原告が甲田商会に対する架空仕入れを計上するに当たり、別表四の三のとおり、各月の架空仕入計上額の三パーセント相当額を同社に支払っていたことは、前記二の3の(二)の(1)のウのとおりであるから、右支払手数料五二二万三一六九円は損金として原告の所得金額から減算すべきである。
(七) 原告が租税特別措置法五三条一項(昭和五四年法律第一五号による改正前のもの)に基づき、価格変動準備金として五七五〇万円を損金経理の方法により積み立てていたこと及び昭和五二年一〇月期の価格変動準備金の戻入金として六八〇〇万円を益金に計上していたことは当事者間に争いがないところ、前記1の(三)と同様の理由により、右五七五〇万円は損金算入の要件を欠くから、これを原告の所得金額に加算すべきであり、また、前記2の(五)のとおり、昭和五二年一〇月期の価格変動準備金の積立額六八〇〇万円は、既に益金の額に加算されているのであるから、結局、右六八〇〇万円と五七五〇万円との差額一〇五〇万円を原告の所得金額から減算すべきこととなる。
(八) 昭和五二年一〇月期更正により、原告の同期の所得金額は、五億六六一八万七〇三六円増加するので、地方税法七二条の二二第一項により、右増加所得金額に一〇〇分の一二を乗じて得た金額である六七九四万二四四〇円を事業税の未納付税額として原告の所得金額から減算すべきである。
(九) 右(一)ないし(八)によれば、原告の昭和五三年一〇月期の所得金額は、八億〇一七七万二九四六円となる。
五 本件各更正について
これまで述べたところによれば、
1 原告の昭和五一年一〇月期の所得金額五億五九一万二二八五円は、昭和五一年一〇月期更正に係る所得金額と同額であるから、右更正は適法である。
2 原告の昭和五二年一〇月期の所得金額六億四二〇六万八六八四円は、昭和五二年一〇月期更正に係る所得金額と同額であるから、右更正は適法である。
3 原告の昭和五三年一〇月期の所得金額八億一七七万二九四六円は、昭和五三年一〇月期更正に係る所得金額と同額であるあるから、右更正は適法である。
六 本件各賦課決定について
前記二及び三のとおり、原告が本件係争年度においてした架空仕入計上及び土地譲渡益計上もれは、所得金額の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい、仮装したものであることは明らかであり、原告は、その隠ぺい、仮装したところに基づいて確定申告書を提出したものであるから、
1 国税通則法六八条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、昭和五一年一〇月期更正に基づいて納付すべき法人税額一億八七四五万八〇〇〇円(昭和五九年法律第五号による改正前の同法一一八条三項により一〇〇〇円未満の端数切捨て)に一〇〇分の三〇を乗じて得た額である五六二三万七四〇〇円の重加算税を賦課した昭和五二年一〇月期賦課決定は適法である。
2 国税通則法六八条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、昭和五一年一〇月期更正に基づいて納付すべき法人税額二億二五七七万円(昭和五九年法律第五号による改正前の同法一一八条三項により一〇〇〇円未満の端数切捨て)に一〇〇分の三〇を乗じて得た額である六七七三万一〇〇〇円の重加算税を賦課した昭和五二年一〇月期賦課決定は適法である。
3 国税通則法六八条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、昭和五三年一〇月期更正に基づいて納付すべき法人税額五七八七万五〇〇〇円(昭和五九年法律第五号による改正前の同法一一八条三項により一〇〇〇円未満の端数切捨て)に一〇〇分の三〇を乗じて得た額である一七三六万二五〇〇円の重加算税を賦課した昭和五三年一〇月期賦課決定は適法である。
七 本件取消処分について
前記二及び三のとおり、原告は、本件係争年度において架空仕入れを計上していたのであるから、昭和五一年一〇月期に係る帳簿書類に取引の全部又は一部を仮装して記載したものであることは明らかである。したがって、被告が法人税法一二七条一項三号に該当するとして、昭和五一年一〇月期にさかのぼってした本件取消処分は適法である。
八 よって、原告の本件各請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石原直樹 深山卓也 裁判長裁判官鈴木康之は転補につき、署名押印することができない。裁判官 石原直樹)
<以下省略>